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カテゴリ:日常
「仕事が好きです」
「授業も大好きです」 「人と会って話すのも、ご飯を食べるのも好きです」 そんなふうに胸を張って言える毎日があるのは、ありがたいことです。 でも、それと同じくらい——いや、それ以上かもしれない——僕は、「勉強」が好きです。 *** 日曜日。 朝から夕方の交流会までの時間、ほとんど誰とも話さず、机に向かっていました。 おそらく、静かに文字を追っているその姿は、仕事でもなければ、必要に迫られた勉強でもなく、 ただ純粋に「知りたい」「考えたい」という気持ちの延長だったのだと思います。 実は僕、二度目の大学生でもあります。 今回は社会人としての学び直し。 年齢や立場を超えて、もう一度知識を深め、問いに向き合う時間は、想像以上に豊かで贅沢です。 この日はレポートを書いていました。 テーマはゲーテ。 その言葉に、思わずため息が漏れてしまうほどの重みを感じました。 ゲーテの名言の一つ—— 「金銭を失うこと。それはまた働いて蓄えればよい。 名誉を失うこと。それは名誉を挽回すれば、世の人は見直してくれるであろう。 勇気を失うこと。それはこの世に生まれてこなかった方がよかったであろう。」 この言葉に出会ったとき、僕の魂が震えたのです。 たとえ何を失っても、勇気さえあれば立ち上がれる。 でも、その勇気を失ってしまったとき、人は本当の意味で立ち止まってしまう。 生きる上で一番守るべきものは、「勇気」なのかもしれません。 *** もう一つ、心を動かされた言葉があります。 ヴィクトール・E・フランクルが唱えた、有名な“方程式”。 絶望 = 苦悩 − 意味 これは、苦悩に意味が見いだせなくなったとき、人は絶望するという考えです。 逆に言えば、「意味」さえ見いだせれば、絶望と思っていたものが“苦悩”に変わる。 苦悩という言葉は、決して悪いものではありません。 意味のある苦しみは、未来に向かって進むための一歩となりうる。 だから、絶望しているときこそ、自分なりの「意味」を探すことが必要なのだと思います。 とはいえ、悩みは立ち止まって考えていても、そう簡単には答えが見つかりません。 大切なのは、「動きながら考える」こと。 足を止めず、手を動かしながら、頭の中で問い続ける—— それが僕にとっての勉強であり、日々の生活そのものです。 *** 今までの僕は、何かに感動したとき、ただ「感じた」だけでは終われない人間でした。 その感情に、ちゃんと理由を与えたくなってしまう。 「これは○○だから感動したんだ」 「AだからBである」 でも、それだけじゃ納得できなくて、 「いや、Cという背景があって、それにDが重なったからBにたどり着いたんだ」と、 まるで論文のように、自分の気持ちにまで意味付けをしてきたのです。 そうして「正当な理由」を並べては、自分の感情を包み直す—— そんな生き方を、ずっとしてきました。 だけど最近、ふと思うようになりました。 もっと素直に生きたいな。 ただ、感じたままを感じて、そのまま大切にしたいな。 *** そう思えるようになったのは、ある人との出会いがきっかけです。 僕の塾に、新しい先生が来てくれました。 その人は、理屈よりも感覚で人と向き合い、 「うれしいね」「楽しいね」と、まるで風のように言葉を届けてくれる。 僕が無意識のうちに複雑にしていた思考を、 ふっと軽くしてくれるような存在です。 そんな人と出会えたことで、僕自身も少しずつ変わってきた気がします。 勇気や希望、そして“意味”を、誰かと共有しながら育んでいける場所。 それが、僕がつくりたい塾のあり方なんだと、あらためて思えました。 *** これからも、仕事も授業も人との出会いも、そして勉強も—— 全部、心から大切にしていきたい。 でも何より、 「素直な自分」として、日々を生きていこうと、そんなふうに思うのです。 そして、それをそっと後押ししてくれる人たちがいる場所で、 これからもたくさんの子どもたちと、笑顔の時間を重ねていけたら。 それが、今の僕のささやかな願いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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