<友>たちへ--
この本は自然の中を歩き、その自然を心の中に育てる行為、バックパッキングの入門書です。スポーツとも、レジャーとも、哲学ともとれるこのバックパッキングをとおして、ひとつの言葉を確かめあいたいというのが願いなのです。その言葉は<Wisdom叡智>です。
こんな書き出しではじまる芦沢一洋氏の「バックパッキング入門」。
初版が1976年というからもう30年以上前の本である。
さすがに30年前の著作なので入門書としては古臭い内容ではあるが、冒頭に記されたバックパッキングの精神は普遍のものがある。ネイティブ・アメリカンのサバイバリティに敬意を払い、ヘンリー・D・ソローの「森の生活」にシンプルなライフスタイルの原点を見出し、自然保護に命を捧げたジョン・ミュアの生涯に共鳴している。そして、バックパッキングという言葉が一般に流布する直前のビート・ジェネレーション~ヒッピー・ムーブメントについてはこう語っている。
「やがてベトナム戦争を頂点として、反戦思想を革命のエネルギーに高めようとしたヒッピーが現れ、不安定な60年代は終わっていきました。その中で旅と原始性へのあこがれは次第にはっきりしたイメージとなり、現在の社会の中での価値転換へ、つまり現実と空間を旅と原始志向の方向へと導く力をもつようになりました。」
「バックパッキングがノマディクス志向の中心に据えられ、自然を学ぶうえでの第一の練習台になり、新しい価値観を手中しするための必須課目になったことは、これまでのビートやヒッピーが、ただいたずらに誤解され、批判を浴びせ続けた20年間を振り返るとき、なにかほっとされるものがあります。」
当時の日本はヒッピーの影響として、長髪にヒゲ、ベルボトムのジーンズ等、ファッションばかりが先行してしまったが、実は自然破壊や戦争への大きなアンチテーゼだったのだ。
さて、芦沢氏が唱えた<Wisdom叡智>とは一体何か?
ケータイの辞書で調べたところ
1.すぐれて深い知恵。高い知性。
2.哲学で、(最高の)認識能力。
とあるが、果たして自分を含め人類は何処までそれを追及できるのか?
独り山中に赴き、テントを張り一宿の恩義を受ける。そこは我々人間ではなく、野生動物の生息地である。多分、そこで人間の<叡智>など微塵も力も無いであろう。
でも僕はといえば愚直にも、生活道具の一切合財を背嚢につめこみ、静かに穏やかに、旅を続けるバックパッキングを黙って続けるだけだ。
<叡智>を享受できる世の中へ。
多分、そう遠くない未来に実現できそうな気も(ちょっとだけ)している。