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ノクターン

ノクターン

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お金持ちのふりをする

 やさしいふりをする

 歌手であるふり 画家であるふり 著作者であるふり ピアノの先生であるふり 等々

 なりたいものは ふり をしてみる。

 どうしてふりをすることが いいのかというと

 感情を 味わうということがあるだろう。

 寄付をして お金持ちのふりをするということは

 潜在意識に 「私は すでに お金持ちである」という感情を植えつける。

 ピアノの先生の感情を体験できるし 著作者の感情を体験できる。

 大切なのは 感情・価値観・ものの見方・、まなざし であって、

 そのものではない。

 自分には そんな力量はないと思う必要は ないのである。

 それが スーパーエゴであって、あなたを守ること しか 考えていないのだ。

 すでに そうなることでいい。

 努力して頑張ってなるのではなく すでに そうなること。

 そして その感情を味わう。

 そういう意味で 写真や文字をみることは、有用だろう。

 なろうと思ってみるのではなく、ただ見ることで いいのだ。

 世界=感情の反映 →  その感情をふりをして 前もって 味わう

 あとは、誰かに感動を与えたい仕事をしたいとすれば、

 自分が感動すること。

 自分が感動することなしに、誰かに感動を 伝えることはできない。

 この受け取り~模倣~鏡 の作用があるので、

 何に意識を向けているかに いつも 注意すること。

 その意識を向けているものが 現実になる。

 玄侑さんは、禅の境地の一つとして 「うすらぼんやり」という。

 宮沢賢治は でくのぼう。

 それは、何かに意識を向けるということを いわば超越して あるがまま の現実を受け容れるということになる。

 意識の焦点を一切当てないこと。

 いろいろな やりかた 生き方があって、そのなかから いろいろ楽しむことが出来るってもの。

 感情は 波動そのものでしょうね。

 見えなくても 伝わり共鳴するでしょ、離れていても。


世界が鏡であるかどうかは、自分で試してみるしかない。

 あなたが笑えば、相手は笑うかどうか?

 あなたが怒ったとき、相手も怒るかどうか?

 あなたが相手を好きなとき、

 相手はあなたに好意を持つかどうか?

 相手の嫌いなところは、自分の嫌いなところかどうか?

 おじいさんと話すとき、

 自分がおじいさんでもないのに、大きな声で話すことはないだろうか?

 赤ちゃんをあやすとき、あかちゃんの言葉になっていないだろうか?

 世界が鏡と仮定して、何か不都合なことはないだろうか?

 たいてい、物質的な地球が一つあり、そのなかに60億人の人間が住んでいるとかいう認識を持つが、一人一人 違う価値観をもっているし、能力も違う。

 まったく、同じ世界を共有しているわけではないのだ。

 世界は、人の数だけある。

 ということは、一人一人違う世界を持っているということだ。

 何度も書くことになると思うが、我々は
世界を目で見て、脳に映像を送っている。

 パソコンや花の反射した光を目を通して、脳に送り、脳で見ている。

 世界と脳で見ているのは、同じものです。

 だから、取り替えても同じなのだ。

 何が言いたいのかというと、我々が見ているのは 世界というより、自分の脳の中、もっといえば 「心のなか」を覗いているということなんだ。

 僕たちは、心が見えないのではなく、心しか見えていない。



僕たちは 見ているものに 同調する。

 離婚は珍しくないけれど

 親が離婚を経験していると その子供も離婚することが多いようだ。

 それは、親に虐待された子供が親になったとき

 その子供に対して虐待をしてしまうということにも似ている

 それは 類は友を呼ぶに も似ているし

 朱に交わって 赤くなることでもある。

 多分 この世界は 見えない振動(波動)のようなもので出来ていて、

 それが 同じ場所にいると 同調するように 調整されるのではないか。

 それは、

 入りたい学校の 写真を貼る とか

 欲しい商品のカタログを 毎日みる とかでもいいだろう

 しかし、決して入りたいとか 欲しいとか 思わないこと。

 ただ 見るだけでいい。

 夫婦は 同調する。

 同調しなければ きっと 分かれる。

 一緒にいることで 似てくるわけです。

 それは、ペットも一緒で 飼い主に似てくる。

 お金持ちになりたければ お金持ちの友人をたくさんもつことは そうなる近道かもしれないが、波長が合わないので 話ができないだろう。

 作家になりたければ その人の本を読んで写すこととは昔からいわれていることで

 絵描きも 模写をするだろう。

 波動を あわせるには 真似が一番で、

 お金持ちになるのには マネー でいい。

徳川家康の言葉に

人生というのは、重い荷物を背負って長い坂道を歩くようなものだ

というものが がある。

 それを、徳川家康ほどの人も、苦労していたのだから、我々庶民が苦労して生きるのは当然だなと、解釈される。幼少の頃から、人質であり、織田信長にこきつかわれ、長男を殺したこともあるから、天下をとるために苦労をしたことは 誰もが知っている史実なのだ。

 しかし、よく考えると違うのではないか。

 これは、イソップの「ありとキリギリス」のように、支配者にとって奴隷を働かせる言葉でしょう。

 庶民は、苦労するのが 当たり前で、毎日奴隷のように働けばいつかは報われるということを言っている。~まあ、それはないのですが。

 徳川家康も支配者になって、どのように統治しようかと思ってでた言葉だから、
奴隷には 自ら奴隷の性分を全うしてもらいたい。

 これは、江戸時代のことばかりではなく、いまもそうなんだ。

 勉強して勤勉であれ。するべきことは、学校のカリキュラムであって、個人のしたいことは我慢する。仕事に入ったら、単調なルーティンワークを毎日すること(奴隷のように)が、
個々人の幸せになる。いまの努力がいつか報われる。~それで、気がついたら定年か首切り。

 努力 無用、努力をしているなと思ったら、生き方が間違っているかどうかチェックしたほうがいい。

 したいことを我慢しないでください。

 病気になれば熱がでて、怪我をすれば痛むように、

 生き方が違っていれば、努力をしていると感じるものです。そして、しなければならないと思って、毎日努力しているのは辛いことです。

 世界はココロの反映ですから、したいことに意識を当ててください。


災難に遭うときは 災難に遭うがよろしく
 死ぬるときは 死ぬるがよろしく候(そうろう)
 これはこれ 災難をのがるる 妙法にて候

 良寛の言葉ですが、まさしくこれがあるがままを受け容れるということでしょう。

 たいてい、お金がなくて何とかしたいと願うが、それはいまの状態を否定していることです。

 否定からは、何も生まれない。(世界は意識そのものなのに、その意識が否定しているから、何も生まれるわけはないのだ。

 いま在る状態が、どんな状況であっても、それを受け容れること、変わろうと努力しないこと。

 良寛の言葉は、災難を逃れるだけではなく、あるがままに生きるということを教えてくれている。
  


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