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「新橋で鉢巻ネクタイ千鳥足を目撃・・・本当にいるんだ・・・」
こんんばんは。 異常な暑さと湿気に、テカリが留まる事を知らない今日この頃・・・いかがお過ごし? 「ってらんね~」 「ってんだよっ!」 「ったり~」 こんな言葉が街中を飛び交っている。 というか、率先して言っている。 主語がないどころか、前半部分の発音すら出すのが億劫である。 今日の極意は結構インテリジェンス(文献からのパクリ) 私は以前(1999年頃)ノッていた。 なぜかと言うと、ご存知の通り「ノストラダムスの予言」 ブームにノリにノッていたからである。 やれ「コンピューター問題」やら「核が落ちる」やら「大地震が起こる」やら「隕石が落下する」やら・・・・ 全て待っていた。 ノッていたというよりも「待望していた」 何かを頑張っている奴を見ては 「だめだめ~おっこってくるんだから!やめときぃ~」 やっかいな奴である。 自分で待ちわびるならまだ良いとしても、周りを巻き込んでいた。 最近でも以前の私ほど「剥き出しのトンマ」ではないにしろ どこか「クール」な意見をよく聞く。 「人生なんて死ぬまでの暇つぶしさっ」 「20代のうちにしかできないことってあるジャン!だから、 今はアジアを知っておきたいんだ!」 「30までは好きにさせて~」 「今がよければそれでいいんじゃん?」 「どうせやったところでたかがしれるじゃん!」 別に何が良いとか悪いとかではない。 こういった「ニヒリズム」←(インテリジェンス)に走るのは 非常に乱暴かつ安易な結論である。 難しい言葉を使うと膝の裏が痒くなる。 私も本気で毎日空見て「テポドン」が降ってくるのを待っていた側 なので、言える立場ではない。 ただ、何だか最近年下と話すと「悟りきってる風」の 人が多い気がする。 何かさらっと聞くともっともらしく聞こえ、説得力もある風である。 ただ、「裏づけ」が皆無なのだ。 全部自分の賢い風の頭で「先読みして」こんな世知辛い世の中で・・・みたいなことを70過ぎのお爺ちゃんみたいに言ってる。 そういう話を聞くと「すごいね~・・・で、やった事はあるの?」 と聞く。すると120%「無いけど分かる。」と言う答えが返ってくる。 それ以上は何も言わないようにする。 何かを言ってもそこから生まれてくる物がないから。 「テポドン待ち」をしていた頃を思い出すと、 「悟りきっている風」+「やったつもりになってる風」+「やっても結果は見えている風」の三大逃避極意を駆使していた事が分かる。 理論でまとめる事が得意な方ではないのだが、その頃は 物凄く簡単に、そして乱暴に「結論」荷まで持っていってたな~ と言うのがある。その事で「脳みそ」が怠慢になっていたな~ とも思う。 どっちを選ぶのも自由だ。ただ、最近はこれだけ重たい「脳みそ」みたいなものを頭の上に乗っけてるんだから、さっさと「結論」 に持っていって「悟り風」で悦に浸るより、何か「意味」っぽい ものを付けて考えて見る事をやっている。 非常に苦痛になる事もあるが、これくらい刺激与えてやらんと 本当に耳から「脳みそ」が垂れてくるような気がする。 今日は凄く使い慣れない言葉を使った。 「脳みその基礎代謝」と言う物があるとするなら、上がってるはずである。 明日は脳肉痛だろうな・・・ ★★★★★★★★★★★★ 思い出迷子自己陶酔編 ★★★★★★★★★★★★ 「鼻毛を指摘する愛・・・見逃す哀・・・・」 こんばんは。 今日は久々に実家に帰った。 実は鎌倉っ子である。 ただ、エンゲル係数が一般家庭より低くなった事は無い。 「鎌倉=ブルジョワ」というのは安易だし乱暴だ。(これ気に入ってる) 家計は真っ赤だったが、食べる事に困らせる家ではなかった。 常に肥えていた。 近くに教会がある。 そこが、小学生から高校生までの遊び場であった。 「ん?高校生?」と思われた方。 高校2年まで「台湾リス」を捕まえる事に命を懸けていたいた私・・・今度その極意もお教えいたしましょう。 その「遊び場」にふと足を運んだ。 そこには10数年間変わらない風景があった。 シスターも相変わらず年寄りのままな気がする。 そのシスターを「エアガン」で襲撃した事を思い出し、 「ごめんなさい」と心で唱える。 ずっと気に入っていた「木」がある。 名前はわからない。 ただ、すごくソイツとはウマが合った。 そこから見える風景がその当時は「世界」だった。 「どうしよう?」 凄く上りたいが、シスターもいるし、人通りも多い。 何より今の俺が上って平気か? 不思議なものである。 「あ~大人の階段上っちゃたんだ・・・・」 なんて事を呟いてみたりした。 「この木・・・縮んだな・・・・」 「俺が大きくなったのか・・・・」 これが言いたかった!!! 言って見て思ったこと。 「痒くなった」 以上である。 それ以上に周りの目と体重を気にして登らない、そして 思い出に浸っている己に苛立ちすら感じてきたので、 「えぇ~い!ままよっ!」 登った。 すっごく低く感じた。 そして狭く感じた。 ただ、すごく気持ちよかった。 何でもやれる気がした。 登らなかったら、センチな思い出みたいに心にしまって 「大人になって失った物」みたいなテーマで書いていたと思う。 登ってよかった・・・ヒソヒソ通行人に何を言われようと、 降りた時にシスターに静かに怒られた事も、別にいい。 登って良かった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年07月18日 22時35分54秒
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