2012/04/10(火)17:56
あさ出勤してきて~思ったので…
出勤の名古屋の地下鉄に乗り込む。いつもは先頭車両なのですが、今日は銀行によったので真中辺に飛び込む。小学生とおぼしき(4~5年?)子供たちが『東山動物園?』かどこかにいくようだ。真中の車両の左右ほとんどの席を埋め尽くす。『ふっと考える…』(何時も)自分の年の時はどうであったか?何人かは、どいておじいさんなどに席を譲るものがいた(と思う)。
それが、気恥ずかしく、且つえらい!と、自らを『ほめほめ』したい…くすぐったい感じ。
デモ、その方たちは先生?(正直きったない格好で為口の人)も含め、何も年寄り等のことに触れず、会話をたのしんでいた。
これが文化だと思う。子供=知らず。大人=与えず。表面的な=会話、=楽しい=表面的。
お正月の『コマ』を見たことも聞いたことも知らない子供が、それを『良い、悪い/好き嫌い』を語れないのと同じなように、大人が『何故…』を語らない…。『道徳?文化(カルチャー)』は、芽吹かない。
そう思える核心は、その駅を降りる時、ドアの真中に立って、でようとする私を押しのけてでようとする『おば様』と、その駅でまっていた『乗り込もうとする、老夫婦』が、やはり私を押しのけ乗り込もうとする。=ひょっとして、もう『今の大人の中にも、文化、道徳』は、教えられないのか?知らないのか?×全ての人ではない、そう言う人が目立つだけか、わたしがそう感じるだけかもしれない。デモ、みな『効率』というなの元に『急いでいる』=自らが。
決して、ステレオタイプに『今の子供は!とか、今時のじい様は!』などとは思わない。自らも含め、もう少し前後左右と、先のことも考えてみて『一呼吸』入れてみたい。