2006/08/18(金)10:59
赤坂シンデレラの最後
いよいよ自爆ネタ画像も品切れです。
今日は委員長最後のお店となった赤坂シンデレラの写真デス。
私の記憶に間違いがなければ、1982年の1月を以って閉店となりました。
この写真はその前年81年に社員旅行で行った海水浴の時の写真です。
千葉の鴨川だったと思います。
店長の二郎さん、支配人の今○さん、主任のハ○マ君、厨房のチーフ、瀬○口君、あと名前忘れた(ごめんね)
この時のDJは私とユウジでした。
この時の宴会で「北国の春」を歌ってご祝儀1万円貰いました。
会社は在日系でパチンコ、キャバレーなどの御馴染み多角経営(笑)でした。
その辺を考慮して、「泣かせて賞金を取る」作戦が見事あたり1万円をGETしました。
「あの、ふ~るさとへ、かえろかな~、か~えろ~か~なぁ~」(ウルウル)
この慰安旅行は全店舗合同でしたから、もちろん新宿シンデレラの五郎さん以下スタッフも全員一緒でした。
この時の新宿はモンチとサム岡田でしたね。
でもって、もちろん夜は部屋から臭い煙がモクモク上がって、その匂いを嗅ぎ付けて、五郎さんが部屋に飛び込んできました。
「誰だっ!クサなんか吸ってんのわぁ~?」
一瞬、全員がはだけた浴衣を直す間もなくキョーツケで直立不動。
緊張の一瞬。。。。。
「オレにも吸わせろ」
ドッカーン!
そこへ二郎さんまで登場。
「あんまりおおっぴらにすんなよ」
さすが兄貴ですね。(笑)
ということで大広間での宴会は盛り上がりました。
ただ、この頃はディスコばかりでなくキャバレーもすっかり衰えをみせていて、パチンコ部門だけが元気で、従業員の半分以上はパチンコ店の店員でした。
向かって右隣がユウジです。
シンデレラ閉店後は六本木のギゼへ潜り込みましたが、結局半年持たなかったかなぁ~。
その後新宿シンデレラも閉店して、委員長のディスコ生活にもピリオドが打たれ、この後は過去のツケの精算業務に追われ、社会復帰にむけてリハビリに励みました。
(励みすぎて頭もすっかりハゲました)
シンデレラ閉店後、二郎さんは四ツ谷でカラオケスナックを始め、五郎さんは新大久保でポーカー屋を始めました。
カラオケ店の方には何度か顔を出しましたが、それでも1年は持ったのかなぁ~、その後は音信不通です。
二郎さんには色々とお世話になったので、機会があれば一度お会いしたいものです。
19歳で業界デビュー、新宿で始まった道楽者の放蕩三昧デタラメな生活も遂にこれまで。
1982年1月赤坂シンデレラにてディスコ業界を引退した委員長でした。