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いや~こんなに興奮した日も珍しいことでした。 昨日は朝から晩まで驚きの連続、ワクワクしっぱなしという感じでした。 理由はナイショ(笑)です。 そのうちわかることですから。。。。。楽しみはできるだけ長持ちさせたいので(^^ ということで今日はちょっと思いついたことを書きますね。 セレンディピティ どうも日本人はなんでもカタカナ外国語にしたがりますが、早い話「偶然」ってことですね。「予期せぬ掘り出し物」「掘り出し物上手」「運命のイタズラ」とか、「偶然の出会い」「偶然の発見…」というような意味です。 念のため言っておきますが、ここに書くことはほぼウケウリですから、私自身がこんな高尚な理屈を生み出したわけじゃありませんのでお間違いなく。(って誰もそうは思わんか) 運命というのは努力した人に偶然という橋をかけてくれる 「狙ったものよりも、その横にもっと面白い発見がある」という考えもそうですね。 「発見」という言葉をいきなり宇宙のどこかに恒星を発見するようなものだと考えるのではなくて、今まで「分かっていたのに気がつかないことが明示化されること」であり、「これまでの結びつきではない、別の結びつきを見つけること」だと考えることです。 セレンディピティというものが成立するのは、何かを求めている人がある事柄をずっと探しているからで、元々はそこにあったかもしれないものなのだが、意識することによって「前景化」(foregrounding)して見えてくる、ということです。 何かを意識して散歩すれば、町の様子が違って見えてくる、というようなことでしょうか。 シンクロニシティ なんでもカタカナにすると頭よく見えると思ってるんでしょうか(笑) 早い話が共時性ってヤツです。 共時性とは、心理学者ユングの言葉で、意味は「同じ意味を持つ、ふたつあるいはそれ以上の、因果的に無関係な出来事の同時生起」です。 日本語は難解ですか?(笑) これも偶然と呼ばれるものに近い現象で、ふとしたきっかけで別々の物がある意味で結ばれるというものです。というより、結ばれていたことに気が付くということでもあるので、冒頭のセレンディピティとシンクロ(笑)してます。 なんで突然こんなことを書いたかというと、昨日の私がまさにそんな一日であったからなんです。 「不思議だなぁ~」なんて思いつつも、「偶然とは思えんね」なんて考えになって、こりゃひょっとしてはじめから繋がっていたのかなぁということになったんですね。 そう考えていくと、なんだか色々なことがすべてひとつの糸で紡ぎだされているような気がしてきて、久しぶりにワクワクしてきたんです。 うまく説明できる例が思い浮かばないのですが、なんというか、種はバラバラなんですけど、みんな同じ畑にばら撒かれたみたいな感じですか?(余計ワケわかんない?) つまり、開花する花の種類はみな違うんですけど、育つ土というか畑は同じ、というようなことです。 でもって結論から言うと、私は今までこれを表現するためにウダウダしていたのかぁ~というような直感を得たみたいな感じです。 その表現するものはまだきちんとした形にはなっていないのですが、バラバラだった種がようやくひとつの畑の中で繋がり始めたってことです。 でもって、もうひとつ大人になった(笑)のは、この畑にばら撒かれた種同士もお互いに繋がりあって開花を目指してるってことにも気が付いたことです。 種が育っていくために根が畑の養分を吸収するんですが、時には隣の根の養分まで吸収しちゃったり、時にはうまく養分を吸収できずに痩せてっちゃったり、そんなこんなでお互いに作用しあってるわけですね。 そこでこの偶然とか共時性について思いをめぐらすと、今までバラバラだと思っていた種も、実は太陽の光に向かって育つという共通の流れに乗っていることに気が付いたんです。ひとつとして例外なくみな同じ育ち方をしているんですね。 私ゃ宗教家でも哲学者でもありませんが、たまたま自然に近いところに住んでるせいか、そんな発想が生まれたのかも知れません。 って、屁理屈かもしれませんが、この、たまたま(偶然)、この地に住んでるということさえも共時性の中にあるのかと思えるようにもなりました。 ということで、同時多発(ってテロじゃないよ)で私の意識を高揚させてくれている同胞の皆様にあらためて感謝致します。 今日は殊勝かつ真摯に、道楽者同胞の皆様に御礼を申し上げたいと思います。 ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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