上昇気流に乗って

2011/01/03(月)20:40

独りが怖い?

自分を見つめる(421)

昨日ふと湧き上がってきた気持ち。 「独りになるのが怖い  だから一人暮らしなんかしたくない」 そう言うのが出て来てびっくりした。 ここ数年家を出て独り暮らしがしたくて仕方なかったのに。 まさかそんなのが出てくると思わなかった。 この一人ってのは、孤独の方で、誰とも合わず誰手も離さず日々が過ぎていくことだな。 確かに今までは結構何だかんだ言って、周りの人とのかかわりがめんどくさく、あまり深くかかわって来なかった。 誰かに面倒を書けるのが嫌。 何かしてもらって、法外な見返りを要求されたくない。 だからこそ何かあっても誰も頼ってはダメで、独りで何とかしなくてはいけないと思ってきていた。 今はさすがにそんなことあまり思わないけど。 根っこは、多分。 幼い時分、何かの折にヒステリーを起こした母親に、本当に何も与えられず放り投げ出されて、その恐ろしさを見に染みたことだと思うけど。 でも同時にそうやって何かすることを人質に取られてしまったことに寄って、逆に誰かに頼ってばかりいてはいけない、何でも一人で出来るようにならなくちゃというのが出来たんだと思う。 まあ、ついでに沢山の呪いや罵倒を吐き投げられたことも沢山あって。 それこそ私を自分の思い通りの人形にするためには何でもやった人なんだよね、うちの母親。 本当に虐待されたこともかなりあるな、思い返すと。 それでも私は私の自我を手放さなかった。 同時に生きる為に、言う事を聞くことも覚えた。 この辺りで私はかなり分裂していたんだな。 小学校低学年で、少なくても天真爛漫な私と、怒り恨んでいる私と、常に泣いて怯えている私が居たと分かる。 リリアときぃとひな、だなぁ……。 ともかく。 一人=全てから切り離されて、誰にも何も助けを求められない状態、というのが刷り込まれた訳です。 子供のやることって、やっぱり決まり切った範囲でしかなくて。 それを見越して先手を打って、手助けされないように手を回されたしねぇ。 それこそ「教育だから、手を出さないで」みたいなことを言って。 そうやって幼い子供を追い詰めて、恐怖を植え付けて、自分のリベンジ人形にしたかったようです。 うん、自分のなれなかった自分に仕立て上げて、それで幸せになるのを見て自分が幸せになると勘違いしていたようなところもあるな、うちの母親。 小さな子供も、自分じゃない。 自分から出てきたけど、自分で無いもの、というのが何処か分かって無かったんだと思う。 だから自分の思い通りにしたがるのかもしれないな。 と今は思う。 また横道にそれた。 とにかくその時味わった恐怖やら、孤独やら、絶望やらその他諸々の植えつけられたネガティブな事が、まだ癒し切って無いのだと思う。 多分ひなの中にあるモノだな。 ダイブしてその時の私を助けに行って来ようと思います。

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