上昇気流に乗って

2012/06/16(土)22:43

本来の自分、って

自分を見つめる(421)

新聞で、高橋容疑者の言葉として、 「今まで別の人間になっていたので、今自分がどう感じているか分からない」 という言葉があった。 やっぱり本来の自分とかけ離れた事をやると、自分の感覚って分からんくなるんだなって思った。 あの人はまるっきりの別人になっていたけど、でも私たちも日常に、誰かの望む自分を演じていて、または自分で設定したキャラを被っていて、または誰かの理想像を演じていてい、結局本来の自分が分からなくなってしまうから、それって一緒だな、と思った。 そうしないと生きて行けなかった、と言う切羽つまった事情もあり、余計にそこから抜け出せなくなるのかな、とも思う。 私は完全にそういう麻痺状態になっていて、プライドと自己卑下と逃避以外の感覚が良く分からない時がある。 自分の中の確固たる自分と言う位置づけは、ただのプライドと自己卑下と逃避によって作り上げられたあやふやなもので、全然地に足が付いてないものだし、その確固たるものを作るために異常な労力と怒りを持っていたのに気付く。 今はだいぶそれが崩れて、あまりにもの何もなさに唖然としている。 でもそれで良いんだよな、って思う。 客観視、という言葉に異常反応をした。 なんか、全てを切り捨てて、冷静な目で非人間的にただ見ているだけのこと、って何故か変換してて、異常な反発心が出てきた。 そんな非人間的な事を、賞賛するな!勧奨するな!、みたいな 苦笑 違うって、私。 あくまでそれは観察者としての視点であって、感情その他を切り捨てる事じゃないんだよ。 感情に飲まれることを見下す言葉じゃないんだよ。 感情の飲まれることが多くて、その気持ちを理解されず、見下されたり否定されてきた経験があるからこそ、そう言う冷静な視点に対して、妙な反発心を持つのだけど。 でも、そうじゃない。 飲まれても良い。 飲まれながらも飲まれているな、と気づくこと。 怒っていても、こういうことで自分は怒るんだな、と気づくこと。 同時に気づけなくても、後でちゃんと冷静にこうこうこういう理由で、こうなったんだな、と気づくこと。 そしてそれをジャッジしないこと。 それが客観視なんだってば。 否定する事じゃないんだよ。 善悪の判断する事じゃないんだよ。 そんなことしたら、余計に駄目になるだけだよ。 理屈をウダウダ言っていても仕方がない。 なるもんはなる、それで良いじゃん。 ただ自分がどういう状態なのかを、どこか冷静に捉えること。 何かしなきゃ、と思うんじゃなくて、ただありのままに見ること。 大事なのはそっち。 それが出来てから、どうするか、なんだよ。 一緒に考えてごちゃごちゃにしては駄目なんだってば。 まずは自分の状態を把握し続ければいいんだよ、私。 大丈夫だ。 ちゃんと出来るようになる。

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