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カテゴリ:ご命日
6/13 三沢光晴さんのご命日でした。
2009年、あってはならない命の事故がリングで起こってしまいました。
当時49歳。
全日本プロレスのエースとして、鶴田選手の後を継いで活躍。ジャイアント馬場さんの亡き後を継いで全日本プロレスの社長に就任。
しかし、オーナーの馬場元子さんとの折り合いがつかず、全日本プロレスから退団。
仲の良かった仲田龍と二人で居酒屋をやりながら弟子を取り、5人くらいの小さい団体を立ち上げる・・・そんな予定だったそうです。
しかし、予想以上に三沢光晴の信頼は厚かったのか?三沢の後を追って多数の人間が追従、新団体プロレスリングノア発足へ。
かつての禁じ手だった新日本プロレス、三銃士と言われたライバル達との試合はファンを狂喜させました。
橋本真也・小川直也のタッグ対決に、蝶野正洋とのドームでの一騎打ち。武藤敬司とのタッグ対決と話題をふりましたね。
三沢選手の試合事故で急逝した際に武藤敬司は「ライバル対決はどうなるんだ・・・」と愕然とした様子でした。
プロレス界だけでなく、世間にも衝撃を与えました・・・。
こんな事故がなければ今はどうしてたんでしょうか?
社長業に一本化して試合はしてなかったのか?それとも限定された試合にのみ出てたのかなぁ?なんて思っちゃうときがあります。
本当に残念な事故でした。
斎藤彰俊選手のバックドロップで動けなくなった為、レフェリーが「動けるか?」と様子をきいたところ「動けない、(試合を)止めろ」と囁いたとのことでした。
その後、意識が遠のき呼吸も止まり・・・試合を見に来ていた医師がとっさにリングへあがり人工呼吸を行い蘇生を試みる。
救急車で病院に運ばれて治療を受けるものの死亡が確認された・・・と、聞きました。
今、思い出しても残念でなりません。
社長業で忙しく、ストレスが溜まった時は付き人の選手を連れて深夜のカラオケ店で『アニメ』や『ヒーロー』ソングを熱唱するのがお決まりだったそうです。
そうそう、全日本から独立してノアを立ち上げたとき宣伝も兼ねてテレビのバラエティーに出てた時がありましたね。
その時は、下ネタをジョークで使うことが多く会社から「エロ社長」のイメージがつくと困るからと、テレビの出演を禁止された時期があったとか?(笑)
三沢選手がお亡くなりになられてからも、彼の趣味だった『食玩のヒーローフィギュア集め』は二人のお嬢さんが「お父さんが生きていたらきっと買ってきただろうから」と、買ってきてくれており
彼の趣味の部屋は、ヒーロー玩具が増え続けているそうですね。
もっと生きて欲しかった。ご家族のために、そしてファンのためにも。
心からご冥福をお祈りいたします。
合掌
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