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カテゴリ:ひとりごと その他
学校を卒業してかなり経っているが、国語の教科書に載っていた詩のいくつかは、心の奥にしまわれていて、何かの折にふっと表に出てくる。
たとえば、河井 酔茗(こんな漢字だったのか・・・小学校の教科書にはひらがなで書いてあった)のゆずり葉、 三好達治の雪、 石垣りんの私の前にある鍋とお釜と燃える火と 萩原朔太郎の艶めかしい墓場 など。 作品は忘れたけど、室生犀星の名前も。 そして、昨年亡くなられた茨木のり子さんの自分の感受性くらい。 不都合なことを人のせいにしてしまうことがあるが、そんなときにこの詩が私の前に立ちはだかる。言い訳している己の心を突きつけられる。 同時に、友人の言葉も思い出される。 私が愚痴をこぼすと、必ずこう言う。「それを選んだのは自分やろ?」 人間関係の愚痴、仕事の愚痴、いろいろ言うけれど、嫌ならやめればいい。相手との関係をこんな風に構築したのは私自身だし、今の仕事だって、誰に強制されたのでもなく、自分が選んで決めたのだ。 人のせいにするのは、自分が弱いから。 ちょっと前までは「選んだのは自分やろ?」と言われてもなお「そうやけど、でも」と逃げていた。今は、「そやな」と言うことが増えたと思う。少しは強くなったのだろうか?でもまだまだ、弱さの方が目につく。 自分の弱さと向き合うことで、強くなっていくのかも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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