1990年7月23日に演歌歌手村上幸子さんは
不帰の人となった あれから19年になる
■最近、見知らぬ人から熱く長いメールが届いた
You Tubeで村上幸子さんを知ったのが最初らしい
心に染み渡り 、旨く歌う歌手ではなく旨い歌手だ
本当に心の魂で丁寧に彼女は歌っている
今までこんな歌手にめぐり合えませんでした。
不如帰を聞くと彼女の魂に何度、涙が溢れたことか...とあった
まさに、その通りです
自分は2003年頃に村上幸子さんに はまっていた
その時の心境と全く同じです
しかし、村上幸子さんの 曲を集めようとしても発売されていない
苦労している様子を熱く長く語っていた
その後も、何度かメールのやりとりをしている
それで自分のコレクションを探し出した
2~3日ほど押し入れを探しました
ビデオ「幸子絶唱」のビデオテープを見つけたが再生できない
一応2003年にDVD-Rに焼き付けたものも見つけた
全曲集 CD5枚組も見つけた
ちょっと聴いてみた やはりいい 素晴らしい
■聞き惚れました 大石まどかさんも素晴らしいが
村上幸子さんの自然な歌声は誰にも真似できない
何でもないように歌っている 普通に歌っている
だから一回聴いても感じられない
コブシもウナリも力もない
しかし何度か聴くと魂に入り込んで離れない
「幸子絶唱」の中の東京での初リサイタルの
インタビューでの村上幸子さんは素朴でひたむきだ
達成感で幸せ一杯なのが 伝わってくる、涙
デビュー10周年記念の「不如帰」は昭和の名曲だ
しかし、昭和天皇が吐血していたので放送禁止になった
その後 発病して 紅白歌合戦には出場できなかった
世に広く知られた歌手には なれなかったのかもしれない
しかし、今も生きていたら どんな歌を歌ったか
そう思うと、また涙だ 本当に聴きたかったのに~~~
-----------------------
ここで 村上幸子さんの 略歴を書いておく
昭和54年 「雪の越後をあとにして」でデビュー
昭和58年 第4回古賀政男音楽大賞入賞 「やがて港は朝」
昭和59年 第5回古賀政男音楽大賞入賞 「酒場すずめ」
第17回日本作詞大賞入賞 「酒場すずめ」
昭和60年 ホリプロ移籍
昭和61年 文化放送「走れ歌謡曲」パソナリティー始める
昭和61年 第19回日本作詞大賞入賞 「蛍火情話」
昭和63年 デビュー10周年記念 「不如帰」発表
昭和63年 10周年記念リサイタル 日本青年館
平成元年 3年続いた「走れ歌謡曲」のパソナリティー卒業
平成元年 最後のレコーディング「女の雪国」
平成2年 7月23日不帰の人となる
------------------------
YouTubeから見つかった曲を貼っておきます
デビュー曲 雪の越後を後にして
http://www.youtube.com/watch?v=MEkgh0glQcs&feature=related
女の旅路
http://www.youtube.com/watch?v=ppHso37RH1c
酒場すずめ
http://www.youtube.com/watch?v=YaDWKh2Pj1U&feature=related
やがて港は朝
http://www.youtube.com/watch?v=ytPKgingSRY&feature=related
蛍火情話
http://www.youtube.com/watch?v=PASdXRJqTC0&feature=related
不如帰
http://www.youtube.com/watch?v=hMPZF1LFuo4
■最後の曲は 「京の川」だ 出だしが
♪ 生きるか死ぬかの恋をして ♪
ここで泣いてしまう
彼女は悪性リンパ腫で入院中だが
一時病状が落ち着いて レコーディングした
生きるか死ぬかのレコーディングなのだ
恋を歌にかえると ♪ 生きるか死ぬかの歌 ♪ を歌ったのだ
この曲はステージでもテレビでも
どこでも歌っていない 歌えなかった
しかし、歌は村上幸子さんの身体的な精神的な苦しみを感じさせない
全く自然なのだ 全てを乗り越えた自然体なのだ
渾身の力を込めた自然体なのだ 心を打たれる
両親は、この曲だけは リメイクを許可していない
「不如帰」は入山アキ子さん、瀬口侑希さんが、歌っているのに・・
村上幸子さんは いない
しかし、心と歌声は今も残っている
そして、丁度、村上幸子さんが亡くなった23日が近づいている
彼女の命日を「不如帰忌」を命名して偲びます
そして 突然のメールに不思議な巡り合わせを感じています
■なお、入山アキ子さんのブログを見ると今年も
村上市へのバス旅行が企画されているようです
一度は参加したいものです
いやジジイが生きて元気な間に墓参りをしたいです