祖父他界‥。
9月3日、母方の祖父がなくなりました。昨年10月、胃がんと診断されて、その時に手術はしたものの、癌の転移は広範囲に広がっていたため、完全に取り除く事は出来ずに余命半年と宣告はされていました。盛岡の病院で手術をした後は、放射線治療などの処置は望まず、退院したのですが、今年8月になってまた体調が悪くなり、入院したのでした。私が1回目にお見舞いに行った時は、起き上がって話しができました。2回目のお見舞いは、起き上がる事ができませんでした。徐々に、祖父の体調が悪くなって来ているというのが、目に見えてわかり、癌は、祖父の体を歯止めをかける事なく転移していったようでした。食欲もなくなり、人はここまで痩せるのか‥とゆうほどやせ細り、度々状態を見てきた私には、辛いものがありました。祖父には、癌の宣告はしていませんでした。これが、良かったのかどうなのか、私には分かりません。祖父と同居し、面倒を見てきた母の姉が決めた事なので‥。ただ、薬や点滴付けの祖父が見舞う度に、言うのです。『薬や、点滴をしてるのに、さっぱり体調がよくならないんだよ』こう言う祖父に、何と言葉をかけてあげていいか分からないのでした。祖父と私は、元々、そんなに話す機会はありませんでした。同居しているわけでもないし、正月・盆に会う程度でしたから‥。今回、こんな事になっても、最後まで結局会話とゆう会話をする事もありませんでした。ただ、曾孫にあたる、ほのかには、私の祖父の存在を教えてあげたいと思いました。人見知りはしないほのかだけど、打ち解けるには、少し時間がかかってしまう‥。1度目‥、病院の中の探索。2度目‥、じいちゃんと呼んで近くには行く。3度目‥、には祖父のベッドに登る‥予定でしたが間に合わず‥。今となっては、もっと元気なうちに、写真でも残しておけばよかったと後悔。亡くなってからは、慌しい日でした。通夜・火葬・念仏・葬式‥。私の家からは、車で40分位の所にある母の実家には、毎日通い、帰ってくるのは、夜遅くの帰宅になる生活が1週間続くのでした。告別式、ほのかと、棺桶にねむる祖父の姿を一緒に見ました。『じぃちゃん、ねんね』ほのかの言った言葉でした。顔の周りに花を供えて、手を合わせました。ほのかには、『死』の意味など、全くわからないんだろうな‥。なんで、箱の中で、じぃちゃんが寝てるんだろ‥って思ったんだろうな‥。あ、それとも、周りの花が気になったか??それにしても、葬儀が終わるまでの、数日、ほのかにも、沢山我慢もしてもらいました‥。普段の生活のリズムとは全く違うから‥。色々な親戚にもまれた事でしょう( ´,_ゝ`)プッ 喪服で乳をあげるのには、結構苦労しました。゚(゚´Д`゚)゚。 今は日付が変わったので、今日は初七日。今日の法事で、ひと段落だぁ(*>ω<)=3この一週間、慌しい日々に追われてあっとゆうまだったけど、自分の家は、すごい状態だ( ̄□ ̄;)まずは、掃除だ。そして、眠りたい‥。で、遊びたい(笑)あ、イオンにも行きたい(笑)‥、とゆう事で、トモ&ほのちぃも通常生活に戻ります( ´∀`)