スッダとビレッシュの最期の言葉
ひさしぶりに二ケットがくれた東京グループの記録映像を少しだけ見ました。ちょうどビレッシュが前妻スッダと最後には会った話のところを見ました。
僕がサニヤシンになったのは、スッダが導いてくれたからです。スッダからもビレッシュからもどれだけ大きな愛をもらったかわからない。ビレッシュもサニヤシンになることをスッダに導かれた。
初めてビレッシュが家に来たとき、スッダの話になって、二人とも泣いた・・
その二人とも肉体は離れました。生前のデス・セレブレーションを企画するという破格のスッダの側には、昨年亡くなったハート瞑想のリーラがサポートしてました。
以下 ビデオから。
「自分が死ぬということを見たくないひとが多いですが、それを避けることはできません。死を怖がって、閉じて生きるなら、死がやってきたとき、それは恐ろしいトリップになる。今この瞬間に生きることが、優先されることがわかっていれば、死が来た時も、それは続いて行くプロセスになります。
私は前の妻のスッダが死ぬ時に会うことができました。イタリアでです。彼女は癌で、何日か後にはもう死ぬという時でした。私には彼女が肉体的に本当に苦しんでるのがわかりました。だから私は「鎮痛薬を飲んだらどうだ?苦しまなくてすむのに」と言いました。
そして彼女の答えにびっくりしました。彼女は「私は目覚めていたいの。人生の最後の瞬間に」と言いました。私はとても感動しました。彼女には勇気がありました。
アメリカでは軽い別れの時に、こんなふうに言います。「See you later, alligator. 」(じゃあまたね)「Afterwhile,crocodile.」(また後でね)
だから私たちの最後は、アリゲーターとクロコダイルになって、お互いにこの言葉を交わしました。
「See you later alligator」「Afterwhile,crocodile.」
そしてキスをしてハグをしました。その後 私はひとりですごく泣きました。なんて勇気だと思いました。彼女は薬をとることもできたのに。」
(アメリカの俗語で、See you later, alligator. 「意味」それじゃまたね.また今度ね。日本語の「さよなら三角.また来て四角.」と同じような言葉遊びで,別れる時に使う。.三角”,“四角”に意味がないよに,"alligator","crocodile"にも特に意味はない。)
それかそのビデオの最後でビレッシュはこう言ってます。
「もうこれが最後で会えないひともいるから、聞いてください。最後一言言いたい。私のテーマは、いつも覚えていてほしいのですが、あなたのハートでは、あなたは完璧だということです。
あなたの態度は、あなたの行動は、それは常に変わる運命です。ある日はベッドを綺麗にするかもしれないし、次の日はでたらめに汚すかもしれない。それはいつも変わっていきます。しかしあなたのハートでは、あなたはOKだということを、完璧だということを、あなたのハートのスペースではなにも悪いことはないということを覚えていてください。来てくれてありがとうございます。ハートを開いてくれてありがとうございました」
とビレッシュが最後の挨拶をするあたりで、画面が揺れて、泣き声が聞こえてきました。それまでビデオカメラを撮っていた二ケットが、感極まって泣きだしてしまったのでした。
ビレッシュ、スッダ、リーラ
さよなら三角また来て四角 See you later alligator