助けを求めるのも強さである
10年ほど前に「依頼人」という映画を見た。子役で主役に抜擢された少年、ブラッド・レンフロは10歳にして男っぽいセクシーな魅力を漂わせていて、これは大器だなあ、と思った記憶があります。 アメリカ映画らしく、少年の家庭も母子家庭で彼はアル中で暴力的な父親を憎んでいた。弁護士も頼りにはならず、ついに暴力をふるう父親を追いだし、縁が切れる。母親は18歳で子供を生んでいて、低賃金の工場で働いている。当然、生活は貧しく、一家3人はトレーラーで生活をしている。 それにしても、こうした境遇だと男の子は母親を守らなくてはいけないし、自然と男っぽく逞しくならざるをえないのだろうなあ、と思う。今の日本の男の子たちが揃って軟弱になってしまったのも、やっぱり環境のせいなのだろうなあ、と思うし。。。 少年は、偶然一人の男の自殺現場を目撃したことから、大きな事件に巻き込まれてしまい、警察やFBIから追われる立場になる。彼を弁護する女性弁護士が、ある日、強がってつっぱっている彼に言うのだ。 「昔は私もあなたのように強がっていたけれど、助けを求めるのも強さなのよ」と。 う~ん・・・このセリフは、すごく色々な意味を含んでいると思う。周囲を見回しても、助けを求められない大人がうようよいる。大抵の場合、強がって助けを求められないか、依存して甘えてしまうかどちらかだ。助けを求めることは恥ずかしいことではないのだけれど、プライドが傷つくのか、格好悪いと思ってしまうのか、人は素直に「助けて」とは言えない。 「助けて」と言わなくてもいい。「側にいてほしい」「手を貸して」「力を貸して」「相談に乗って」etc...こうした言葉を決して言えない人がいる。男性に多いかもしれない。私はそういう人を見るたび、きっとこの人は孤独だろうなぁと思う。 助けを求めることは、そう、強くないとできないことなのだ。助けを求めるためには、第1に、まず自分ではっきりと「こうしたい!」ということがわかっていなければならない。第2、そのためにアプローチする適確な相手は誰か?を把握しなければならない。そして第3、その相手に対して謙虚になり心からのアプローチをしなければならない。 この3つの要素をきちんとスムーズに最後までコトを成し遂げるためには、十分に考えなければならないし、何より自身の強さがなければできないことなのだ。 助けを求める=前向きなアプローチと考えたらいいんじゃないかなと思う。だって、実際はそういうことだもの。仮に、自分が何も持たない、な~んにもウリがないと思う人がとにかく助けを求める、という場合、それはそれでいいじゃない。だって、失うものなんてないのだから。強がって沈没してしまうよりははるかにマシだ。 何より、私たちは生き抜かなくてはならないのですから。一人で抱え込むには、この人生は長すぎますものね。