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テーマ:徒然日記(23454)
カテゴリ:生き方・考え方
人は誰でも、人の幸不幸を思い図るとき、
自分の尺度で見てしまいがち。 目の見える人からすれば、目の見えないことは不幸で、 五体満足な人からすれば、身体に障害を持つことは 可哀想に写るだろう。 貧乏に苦しむ人からすれば、 お金のある人は幸せに見えるだろう。 でも・・・ 絶対的な幸不幸は他人の価値観によって決まるものではなく、 他人の目にどう映っていようと、もっと主観的なもの、 当事者の心の持ち方にかかっていると思う。 自分で自分が可哀想だと思っている人が、一番可哀想な人。 自分で自分が不幸だと思っている人が、一番不幸な人。 自分で自分がラッキーだと思っている人が、一番ラッキーな人。 自分で自分が幸せだと思っている人が、一番幸せな人。 そう思う。 これに関して、今日実は ちょっとタイムリーな体験をした。 昨日夜、車上荒らしでカーナビを盗られたのを発見したので 朝から警察に被害届けを出しに行ったのだ。 術後間もないため、顔中テーピングなので、このくそ暑い中、 顔にはマスク&左手は指先から手首の下までギプス状態の私。 調書を作る担当の警官が、マスクを取らない私を 不思議そうに見ながら聞く。 P 「お怪我されたんですか?」 私 「ええ、まあ (~_~;)」 P 「女性なのに、かわいそうにね~。 マスクやギプスもね~。ただでさえ暑いのに大変やね~」 ~中略~~ P 「お年は?」 私 「38です (さ、さ、38ぃ~~~?[自分で口にしてちょっと驚く])」 P 「お仕事は?されてますか?」 私 「いいえ・・・」 P 「あぁ、主婦ですね?」 私 「いいえ、まだ独身なんですよ~ (~_~;)」 P 「あぁ、じゃあフリーターってやつですか?」 私 「いいえ、無職、なんです」 P 「そうですか~、いや、失礼しました!」 私 「・・・・ (んっ、なんで謝るの?)」 ~略~~ 想像してみてください! 30代後半で無職の独身女が、 顔中に傷&手にギプス姿で現われて、 車上荒らしでカーナビを取られたといって 被害届けの調書を取られている。 話を聞くおまわりさんの憐憫のまなざし。 客観的に見たら、 どえらい可哀想な図でしょ? でも、当の本人と来たら、 一仕事終えてるんるんで帰宅し母と妹に報告。 「そのおまわりさんなー、最後に『気を落とさず 頑張ってね』って玄関まで見送りに来てくれた上に、 ドアまで開けてくれたんよ~。 あたしのことめっちゃかわいそうに思って、同情して くれたんやろか~ええ人やな~。 でも、誤解やけどな~!ははは~~~~~!」 なんて、いいながら、 上げ膳据え膳で蕎麦食べて、満腹で、 「はあ~幸せっ!」 ・・・てね。 ===== ?????? えっと、あたし今日は何を言いたかったんだっけ? あぁ、そうそう、 幸せって何やろ? どうしたら手に入るんやろ? ってことの私なりの答え。 自分にないものに目を向けて嘆くんじゃなく、 今目の前にあるものに目を向ければ、幸せの種は けっこういっぱい転がっていて、それに気づきさえすれば 案外簡単に幸せは手に入るということ。 その幸せが、たとえ瞬間・瞬間であっても、 点がつながって線になるように 幸せな瞬間がつながって、 幸せな人生の流れになるのだと信じたい。 あっ、言い忘れたことが・・・・ この法則に当てはまるのは、 「まっとう」に生きている人。 そう、だから・・・ 私のカーナビ盗んだ奴! お前は可哀想な奴や! どんなに自分でラッキーだ、幸せだって思っていても、 人の不幸の上に積み上げた幸せなんて砂上の城。 地獄に落ちろと願うまでもなく、いつか自滅する。 あ~あ、可哀想に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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