『漂泊者のアリア』古川薫、第104回直木賞、文芸春秋
古川薫さんといえば、山口県の人ということもあり、歴史を切り開いてきた山口県になじみのある人物を描いた作品を描く作家、というイメージがある。戦国時代の毛利氏、大内氏、陶氏...。また高杉晋作や伊藤博文をはじめとする幕末の志士を描いた著作が多い。私も多数、これらの作品を読んだ。
そういう点からすると、オペラ歌手・藤原義江(ふじわらよしえ)の生涯を描いた本書『漂泊者のアリア』は、古川さんの作品の中では異色なのではないか。
義江は明治31年12月5日、下関で琵琶がうまい芸者・キクとイギリス人リードとの間に生まれた。いわゆる混血児だ。子どもの頃、義江は混血児ということで「あいのこと」いわれ、子どもたちはもとより、教師からも差別的扱いを受けた。
キクはそういう義江を連れ、九州などを渡り歩いた。義江は生まれながらの漂泊者だった。
キクは貧乏な生活から抜け出すため、父と兄弟のいる大阪に出た。キクは義江がいると仕事の障害になるため、下関のリードのところに行かせた。義江11歳の時である。
リードは下関で瓜生商会という貿易会社の支店長だった。義江に会うが、非常にも大阪につき返してしまう。
義江が、大阪に帰ると大火災がおきており、住んでいたところが灰燼にきして母や親戚の生死も分からないという状況だった。仕方なく、義江は下関に引返す。
リードは瓜生商会の社長・瓜生寅に義江を学校に行かせるため、生活の面倒をたのんだ。義江は上京し、極貧生活から抜け出した。しかし、腕白な性格からどの学校も合わず、瓜生寅の死を契機に自活を始めた。
いろいろな職を転々とするが、ある出版社で雑用として働いているとき、上司に『復活』を見に連れて行ってもらった事がきっかけで、俳優に憧れるようになった。その後も、職を転々とした後、俳優になるため上京した。
紆余曲折を経て、義江はオペラ歌手を目指すようになった。日本である程度、舞台を踏んだあと、父リードの援助で、オペラの本場、イタリアのミラノに旅立った。ヨーロッパ各地で勉強し、公演もこなし、渡米。
アメリカで朝日新聞に取材され、それが日本で報道されるや、日本での知名度が急速に上がり、帰国。日本全国を公演して回り、義江のオペラ歌手としての黄金時代が幕あけた。
義江を語る上で見逃せないのが、女性関係の派手さである。常に彼の周りには女の影が付きまとっている。日本人離れした容貌の影響もあるが、義江自身惚れっぽいのである。母キクが危篤にあるというときにも女と会うほうをとるほどだ。
晩年はパーキンソン病が進行し、最後の愛人・三上孝子が看病し、義江を看取った。
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