【六大学】東大野球部に38歳オールドルーキー!
東京六大学野球リーグの東大に、38歳医師が入部したことが30日、分かった。異色のオールドルーキーは伊藤一志投手。高校2年時からの悲願だった東大野球部入りをかなえるため、医師を務めながら、12年に文科三類に合格。休学していたが、勤務していた関東近郊の大学病院を今春退職し、晴れて1年生部員となった。リーグワースト90連敗(2分けを挟む)を更新中の赤門軍団を、「リアル・ドクターK」の右腕が救う。 白衣を脱ぎ、東大のユニホームに袖を通す。この日、東京六大学野球連盟に部員登録を認可された伊藤は、「東大で野球がやりたかった」と23年越しの喜びをかみ締めた。 愛知・東海高2年だった1993年秋。法大戦で16季ぶりの勝ち点を挙げた東大ナインのニュース映像に、心を打たれた。「勉強も苦手で、行きたい大学もなかったけど。強い東大で野球をしたいと思った」。残念ながら、現役では不合格。別の大学に進む道を選んだ。 医大で硬式野球を始め、主に「4番・投手」として6年間プレー。東日本の医大、医学部が集う大会で通算1勝を挙げた。08年に国家試験に合格。31歳で医師になったが、東大野球部の夢をあきらめきれなかった。 多忙な業務の合間に独学を重ね、「文系の方がうかりやすい」と12年に東大文科三類に合格。休学して病院勤務を続けていたが、上司にも背中を押され、今春退職を決意した。「10年後には無理。将来、あのときにやっておけば―と思いたくなかった。今しかない」。高校、大学の先輩になる予備校講師・林修さんの流行語「今でしょ!」を体現し、赤門を叩いた。 入部に年齢制限はなく、かつてプレーした医大は全日本大学野球連盟に属していないため、4年間神宮での試合に出場可能だ。練習に参加した38歳ルーキーは、「これまでは近所のおじさんと軟球でキャッチボールしたり、素振りしたり。トレーニングの量が違うので、足がパンパン」と苦笑い。「先輩から敬語を使われると申し訳ない」と、校内でのリーグ戦告知のビラ配りや、用具の片づけなど1年生の雑用も率先してこなす。約20歳下の同期の間では「カズシ」の愛称も浸透してきた。 「直球の最速は測ったことがない。球種も言えるほどのものはない」と謙遜するが、「しっかり練習して試合に出たい。何年かに1度の波が来れば。赤門旋風が吹くといい」と伊藤。5年間続く90連敗の“病”を、「ドクターK」が退治する。 ◆東大のオールドルーキー 1996年に35歳の高橋将人投手が入部した。慶応志木から慶大卒業後に東大に合格。4年時には年齢と同じ背番号39をつけたが、リーグ戦出場はなし。同期に遠藤良平(元日本ハム投手、現GM補佐)。 ◆プロ野球の最年長デビュー 毎日・湯浅禎夫監督の48歳34日。1950年11月5日の阪急戦で、浜崎真二監督(48歳330日)と先発対決(通算出場はその1試合)。メジャーでは、48年サチェル・ペイジ投手(インディアンス)の42歳。 ◆伊藤 一志(いとう・かずし)1976年8月19日、愛知・稲沢市生まれ。38歳。小学4年で軟式野球に触れる。08年に医大卒業。関東の大学病院勤務を経て、東大文科三類1年。好きなプロ野球選手は落合博満元中日監督、オリックス・金子千尋、レッドソックス・上原浩治。171センチ、73キロ。右投右打。