東京今昔物語 (写真の世界 http://wakowphoto.world.coocan.jp/ より)

2017/06/29(木)10:19

戦後のモダンな渋谷をリードした公園通り (東京の街並み観察 38)

伝統的な渋谷のメインストリートである道玄坂と宮益坂が翳りを見せるなか、戦後の渋谷の街にモダンさを注入したのが公園通りでした。公園通りは、ハチ公前のスクランブル交差点からファイヤー通り(渋谷消防署がある通り)を少し原宿方向に進み、渋谷モディ(旧マルイ)とデズニーストアの間を左斜めに入る坂通です。公園通りの入り口には、新感覚のファッションを売るモディの円筒形のファサードと、遊びを売るデズニーストアのキャラクター・ファサードが、公園通りの門柱のように建っています。 (写真1、2)公園通りの行き着く先は、戦争直後にアメリカ軍の軍属が住んだワシントンハイツがあったところです。戦後の舶来モノは米国から来ましたから、米国軍属の家族達が持ち込んだモダンさは、近くの原宿へ流れ込むと同時に、公園通りにも流れ込みました。ワシントンハイツの敷地が日本に返還(昭和39年1964)されると、その跡地に日本放送協会(NHK)がやってきます。スタジオパークを設けてイヴェントを頻繁に開催します。公園通りの突き当たり左手には渋谷区役所の公会堂があり、公会堂(命名権売却で一時レモンホールと言った)では時々音楽会などが催されました。ワシントンハイツの跡地には広大な代々木公園もできました。その後、NHK放送センター正門の東側にアイア・シアター・トーキョーというミュージカル劇場(平成23年2011)が横浜からやってきました。 (写真3、4、5)イヴェントに参加する人々は公園通りを往来します。休日には代々木公園に多くの人が訪れますが、往復には公園通りを歩きます。嘗て道玄坂上の百軒店が賑わいを見せた時代、そこへ通う人々が道玄坂を上り下りしたように、NHKと渋谷公会堂と代々木公園などの存在が、公園通りの坂を渋谷の新しいメインストリートに育てる働きをしました。この公園通りのモダンさに新風を吹き込んだのは西武系のデパートの渋谷パルコ(昭和48年1973)で、渋谷に新しいファッションや生活カルチャーをもたらして、戦後の公園通り発展の原動力になりました。しかし、いま渋谷パルコは、平成28年(2016)から休業して高層ビルに建て替え中です。 (写真6、7)渋谷パルコの進出を機に、公園通りには、次々と高級ブティック店が開店しました。国際的なブランド品の店もあれば、マイナーだが個性的なブティック点もあります。道元坂下にある渋谷109ビルが若者ファッションを売り物としたのに対して、公園通りにはハイソ相手のファッションを扱う店が多く進出し、ワシントンハイツのあった時代には寂しかったこの坂道は、渋谷の街路の中では、最も垢抜けしたファサードの店舗が建ち並ぶ街路になりました。 (写真8、9、10)現在、渋谷駅周辺は大改造中であることは既に述べましたが、この公園通りにも改造・改築の波が押し寄せています。渋谷区役所と公会堂は建て替えのため解体されました。未だ着手していませんがNHK放送センターも超高層ビルに建て替えられるそうです。ここに掲げた写真の建物の幾つかは、今は見る事が出来ません。 (以上) 写真1 渋谷モディ(旧マルイ) 写真2 デズニー・ストア 写真3 .NHK放送センタービル 写真4 渋谷公会堂(CCレモン・ホールと言われた時がある) 写真5 アイア・シアター・トウキョウ 写真6 ありし日のパルコ 写真7 解体して改築中のパルコ 写真8 BEAUTY&YOUTH UNITED ARROWS社製品を販売 写真9 CHACOTT渋谷本店 バレー衣装を販売 写真10 渋谷公園通りの夜景 p> 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ

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