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カテゴリ:極私的80年代女性アイドル年代記
1980年は日本の芸能史に残る年となった。
我々は歴史の結果を知っている。 山口百恵が引退した1980年にデビューした松田聖子が、 新しい時代を切り開き、山口百恵という存在を過去へとおしやり、 トップアイドルになっていったということを。 だが、私は時々考えるのだが、 なぜ松田聖子がトップに立てたのか? と。 単なる歴史の偶然の結果だったのだろうか? それとも、歴史の必然として松田聖子が現れたのか。 (こんなことを考えているというのは 全くもって暇人の証であるが) さて、その問題はおいおい考えていくとして、 振り返ってみると80年デビュー組は 錚々たるメンバーがそろっている。 デビュー順に簡単なコメントを書いてみよう。 <岩崎良美>(当時18歳) 『赤と黒』でデビュー。2月発売 岩崎宏美の実妹。歌唱力も姉ゆずりの本格派。 ちなみに松田聖子は 4月に『裸足の季節』でデビュー 当時18歳。 松田聖子は「スタ誕」出身ではない。 「ミスセブンティーンコンテスト」九州大会 で優勝したが、父親の反対で本選に出場でき なかった。 だが、この優勝時のデモテープを聞いた CBSソニーのディレクターの推薦により 芸能界デビューを果たすことになる。 <河合奈保子>(16歳) 『大きな森の小さなお家』(6月) 「秀樹の妹・弟オーデション」で2万5千人の中から 選ばれる。デビュー2曲目の『ヤングボーイ』で 「ザ・ベストテン」に早くもランクインする。 <柏原よしえ>(14歳) 『ナンバーワン』(6月) 「スター誕生」を経て芸能界デビュー。 有力新人の一人ではあったが、本格的なヒットは 翌年の『ハローグッバイ』から。 <三原順子>(16歳) 『セクシーナイト』(9月) 前年から放映されていた「3年B組金八先生」で ツッパリ生徒役で出演。中心になった回は なかったが、存在感はピカイチ。 他の80年デビュー組は、 浜田朱里、甲斐智枝美(故人)がいた。 浜田朱里は、 「凄く綺麗だな~」 と思ってみていたのだが、 彼女の歌っていた曲がどんなものだったのか ほとんど覚えていない。 魅力に乏しい曲ばかり歌っていたのは彼女の不幸であった。 (その点、松田聖子、岩崎良美などは CMソングということもあってか、曲から入っていけた) 浜田朱里は、個人的には生き残ってほしかったアイドルである。 大人びた雰囲気だったからだろうか、 アイドルとしてはあまりふさわしくない ムード歌謡のような曲を歌っていた ように思う。 何曲か続けて失敗だったとわかったのだから 『青い珊瑚礁』みたいに明るくポップな曲を 歌わすことができなかったのだろうか。 閑話休題 歌唱力がある岩崎良美や、 デビュー曲が本人の印象にピッタリで 雰囲気が山口百恵(『プレイバックパート2』を歌う時の)に 1番近い三原順子は、「ポスト山口百恵」として、 松田聖子のように80年代のトップアイドルに なぜなれなかったのだろうか。 当時の三原順子は存在感があった。 『3年B組金八先生』では、 「顔はやばいよ、ボディ!ボディ!」 というあまりにもインパクトがある 伝説の台詞も残してくれた。 しかも、3年B組の中で、田原俊彦の実年齢が 18歳だったりするのに、三原順子は実年齢が15歳であった。 とてもその年齢には見えないほどに、大人びていたのが 印象的だった。 そんな、彼女のデビュー曲『セクシーナイト』は まさに彼女以外歌うことは考えられない曲で、 彼女のためだけの歌であった。 当然大ヒットする。 (『セクシーナイト』は前回の日記にyoutube上の動画をアップ) が、その大ヒットが仇になった。 あまりにも本人のイメージと同体化しすぎため、 『セクシーナイト』を超える曲は難しく、 以降、段々とパッとしなくなっていったというのは 皮肉である。 (余談だが、金八シリーズ出身の女性アイドルは あまりアイドル歌手としての寿命が長くない。 三原順子、伊藤つかさ、三田寛子(「2年B組仙八先生」)) がその例である。田原俊彦、近藤真彦、シブガキ隊などの 男性ジャニーズアイドルとは対照的である) 岩崎良美の2曲目の『涼風』は、 私の好きな曲でもある。 (この曲も前回の日記上にアップ。 他に良美の曲では『I THINK SO』も好きだ) 松田聖子のデビュー曲、『裸足の季節』と同様、 CMソング(資生堂シャワーコロン)となった。 『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」には、 松田聖子とともに出場している。 この時点での2人は、まったく同じラインにいたのだ。 『裸足の季節』は惜しくもベストテンに入らなかったが、 『涼風』はランクインすることができた。 この時点で、僅差といえども、岩崎良美は 一歩、松田聖子をリードしていた。 岩崎良美は、水着の撮影を一切拒否したという。 ということは、良美の目指す道はアイドルではない。 本格女性歌手、つまり自分の姉である 岩崎宏美のようになることをイメージしていたのでは ないだろうか。 だが、岩崎良美のピークはこの時であった。 この年、紅白にも出場しているが、 次年度以降フェードアウトしていく。 時代は「アイドル」を求めていたのだろう。 次の曲が、良美と聖子の明暗を分けた。 良美の『あなた色のマノン』に対して それと比べてあまりにも 聖子の歌が大ヒットしたのだ。 デビュー2曲目である『青い珊瑚礁』は、 同年の夏に公開されたブルックシールズ主演の 同名タイトル『青い珊瑚礁』とは直接関係はなかったが、 映画公開時期とシングル発売はほぼ同時期だったと思う。 そんな姑息?な手段を使って宣伝されたこの曲は、 新人アイドルとしては空前の大ヒットとなる。 『ザ・ベストテン』では、ついに1位になる。 その当時わずか3年という短い期間でしかなかったが 『ザ・ベストテン』にてデビューしたての女性新人 アイドルが1位になるというのは、初めてのことであった。 そして、次の『風は秋色』で松田聖子の人気は決定的になる。 この曲も『ザベストテン』で1位になった。 松田聖子はトップアイドルとなったのだ。 時代は、松田聖子の登場により ニューミュージック全盛から アイドル全盛の時代へ 急激に舵を切っていったのだった。 (続く) 『青い珊瑚礁』が『ザベストテン』で第1位になったシーン。 春やすこ・けいこが 「お母さ~ん、って言って泣いてたけど、 涙流してないやん!」 と漫才のネタに使ってしまったのが、 このシーン。 それにしてもありがたいのは、 『ザベストテン』のエンディング曲が (オープニング曲)がこの動画に収められている ことです。 エンディングのシーンも何もかもみな懐かしい。 「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」で 初めて聞いた『風は秋色』。 そのとき、 「こ、これは・・・一体・・・」 思わず耳を疑ってしまった。 曲の後、 「『風は秋色』? これって『青い珊瑚礁』と かわらへん!」 と鶴光も思わず口走ったのだった。 そう、『風は秋色』は『青い珊瑚礁』と 全く同じような曲調に感じられたのだ。 「こんな曲でいいのか?」 と当初思っていたのが、聞いていくうちに 段々なじんできた。 セールスも『青い珊瑚礁』を上回る大ヒット。 『裸足の季節』の時は、歌はいいけど顔は? だった松田聖子が、この頃急に、かわいく感じられる ようにもなってきたのだ。 (といっても私は当時中1でしたが) あらためて聴くと、松田聖子の透き通った声は とても魅力的だなあ。松田聖子の魅力が改めて わかった気がする。 浜田朱里の『思い出のセレナーデ』 (天地真理のカバー曲) いい曲だと思うけど地味めだな~。 もっと明るいはじけた曲か、 思いっきりセクシー路線(キャンディーズかピンクレディー のような衣装)にいったら どうだったんだろうと思うけど。 岩崎良美、松田聖子、河合奈保子、 80年組の漫才?がありました。 この続きが見たい! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.02 12:15:29
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