カテゴリ:音楽棚
あぶらだこ という名の魔物に取り憑かれて随分になる。 あぶらだこってなんだよ、といわれても私にはわからない。 が、そいつは突然現われ、私の人生にかなり強引に割り込みいつのまにか私の全てを根底から覆す勢いで私の心に巣くっていったのだ。 そしてこんなことを嫁入り前の娘が大声で言っていいものかどうか、 もう何回も言ってるような気もするけど、私はこの魔物が大好きなのである。 初めて聴いたときはさすがにびっくりした。 パンクというよりはプログレに近い複雑怪奇な曲構成と喉を押しつぶしたカエルの断末魔のような個性的過ぎるボーカルに私はびっくりして思わずCD停止ボタンを押していた。 なんというか、はっきり言って気持ち悪かったのだ。 悪魔に取り憑かれた狐が発狂してキングクリムゾンの曲を絶叫する様子を想像してもらうと雰囲気はつかめると思う。怖いよ。 それから私はあぶらだこを脳の片隅に追いやって、早く忘れてしまうよう努力した。無理だった。 とりあえず最後まで聞いてみようと思った。 2度目の邂逅は意外にもスムーズだった。 よ~く耳を傾けてみるとキングクリムゾンもびっくりの超絶演奏と、研ぎ澄まされた唯一無二の歌詞世界の織りなす緊張感に私はすっかりしびれてしまったのだった。 声も慣れてくるとなんとも人懐っこくて可愛いものに思えてきたから不思議だ。名前も可愛いじゃん、あぶらだこ。 最初はナンセンスかとも思えた歌詞も次第に深遠な哲学的示唆を含んでることがわかってきた。 「億の神が地下水で眠ってる 虚栄の壁は囚人の壁画」・・・・・ ファーストアルバムの一曲目である。虚栄の壁は囚人の壁画! こんなに悟ってどうするのか・・・思わず心配になってくる。 でもこういう初期にある例えば「象の上に乗って君らをみんな踏み潰してあげたい」といったような毒々しい雰囲気(この歌詞はヒロトモ氏が小学生の頃に書いたそうだ・・)は、作を重ねるごとにほとんど見られなくなって、シニカルさとぞっとするような寂寥感を身にまといながらも、あぶらだこはその思わず脱力するような持ち前のユーモアセンスに磨きをかけてどんどんお茶目でチャーミングな愛すべき怪物へと変貌していったのだった。 あぶらだこを変態とかアヴァンギャルドで片付けてしまうのは簡単だけど、そうじゃない。 多分最初はびっくりはするでしょう。もしくは笑うでしょう。 ふざけてんのか、と思うかもしれない。 でもあにはからんや、あぶらだこはまじめなのだ。 一曲仕上げるのに一ヶ月もかけるような、そんなことふざけてたらできないのだ。ああ、どうしてそこまでするんだろう。 ヒロトモ氏いわく・・・ 「いわゆる変則ビートは多くの誤解を受けている。我々にすれば、山で熊に出会い、人が右に曲がり熊も右に曲がるといったむしろ生理的な動機であり、表現手段として相当量の練習をするが、それは二義的な物だ。諏訪の神渡り、出雲の大峡谷・・・、天然アクロバチックな絶景を拝んでみるといい。畏怖せぬ者はないだろう。変拍子と聞いただけで芸当ゴクローサンと決めつける卑屈な風潮は、スーパーテクニックの教則プログラムを全うすれば英雄になれたエレキ時代の因習、又はそのヒステリックな反動に起因するもので、いずれにせよ本末転倒ではないか。」 要するに表現をする上で妥協や甘えは一切無い、冷徹なまでにストイックで純粋、それがあぶらだこなのだった。全ては必然なのだ。 前置きが長くなったけど、そんであぶらだこの6thである。 ここにくるともうクリムゾンからは遠くはなれて前人未到の領域をさらに突っ走っている。 フランクザッパとかキャプテンビーフハートが実は日本人でパンクをやったらこうなった、といった感もあるけどやっぱりあぶらだこ以外の何者でもない。本当にこういうのを「とんがってる」というのだなぁ。 最初から飛ばしまくる「都塵気候」も、POPな「夏風に魚群」も、 静寂に身が凍る「ファストダンスは僕に」も、なぜかセンチメンタルな「自転車の窓から」も、そしてしめの大作「トリプルレインボー」も全部名曲。素敵。 そして陽だまりにうずくまる鰐に、銀杏大木に、暗闇に飛んでいく蝙蝠に、私は今日もあぶらだこを幻視している。 ほんとになんなんだろう、あぶらだこ。 感じで書くと油湖。 いつのまにか私はトンネルの入り口に佇んでいた。 暗闇の果てに光が見えていた。 が、如何せん入り口に鎮座。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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