テーマ:ひとり言・・?(18174)
カテゴリ:ひとり言
16日の午前2時半に、私の父が亡くなりました。
肝臓癌で、余命1年と言われていたところ、2年数か月生きてくれました。 癌が見つかった時には手術はできない状態でした。 6月に帰った時は、まだ歩くこともできて、一緒に外食もしました。 帰り際、ちーちゃんを抱いてもらおうとしたけど、体力がなくなって 抱き上げることができず、母と2人で抱いてもらいました。 15日の夕方、電話をして、「10月の連休に会いに行くよ」と 伝えると、一言 「頑張る」 とはっきり言ってくれた声が耳に残ります。 ちょうどヒコの実家に帰っていて、夜中電話が鳴りました。 「まだ息があるから、声を掛けて」と兄からでした。 「お父さん、○○だよ。」 もっともっと、何か言いたいことがあるはずなのに、自分の名前を繰り返すしか 出来ませんでした。 すぐに支度をして、山形に向かいました。ちーちゃんは義母が見てくれると いうことで、Aoiはパジャマのまま抱いて。 その後連絡がなかったので、生きてるうちに会えるかもしれない と思っていましたが、実際は、電話を切って15分後には亡くなって いたと朝になって聞きました。 最後はかなり苦しんだと聞きましたが、 家に着くと、父は安らかないつもの顔で寝ているようでした。 父は、自由奔放な人で、母はかなり苦労したと思います。 自由に好きなことをする父の後ろで、いつもいつも父の心配ばかり してきたように思います。 最後の最後に母を病室に呼んで、呼吸困難の中 「ありがとう」 と言った気がすると。母にはそう聞こえたと。 格好つけるところがあって、入院中痛くても我慢をして、母や姉が 「痛いようです」 と看護婦さんに伝えると 「余計なことを言うな!」 と叱られたとか。 お父さんらしいなぁ。 棺の中には、大好きな民謡のテープと、忘れっぽい父のために歌詞カード。 唄の舞台で着る着物。砂糖たっぷりのコーヒー。甘いお菓子。小銭。 パチンコの玉も入れてあげたかったけど、手元にありませんでした。 火葬した10円玉はお守りとして身内でもらうのですが、抗がん剤の せいか、すべて緑色に溶けて残っていませんでした。 肺のあたりの骨も、薄く青い色に変色していて、苦しかったろうな。 本当に頑張ったと思います。 いつも笑っていて、楽天家で、周りの人からは「○○ちゃん」と ちゃん付けで呼ばれていました。 私は小さいころから「○○ちゃんの娘」と呼ばれるのが好きでした。 お父さん。本当にありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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