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家族がもう1人増えました

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2012年09月22日
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カテゴリ:ひとり言
16日の午前2時半に、私の父が亡くなりました。

肝臓癌で、余命1年と言われていたところ、2年数か月生きてくれました。

癌が見つかった時には手術はできない状態でした。


6月に帰った時は、まだ歩くこともできて、一緒に外食もしました。

帰り際、ちーちゃんを抱いてもらおうとしたけど、体力がなくなって

抱き上げることができず、母と2人で抱いてもらいました。


15日の夕方、電話をして、「10月の連休に会いに行くよ」と

伝えると、一言

「頑張る」

とはっきり言ってくれた声が耳に残ります。


ちょうどヒコの実家に帰っていて、夜中電話が鳴りました。

「まだ息があるから、声を掛けて」と兄からでした。

「お父さん、○○だよ。」

もっともっと、何か言いたいことがあるはずなのに、自分の名前を繰り返すしか

出来ませんでした。


すぐに支度をして、山形に向かいました。ちーちゃんは義母が見てくれると

いうことで、Aoiはパジャマのまま抱いて。


その後連絡がなかったので、生きてるうちに会えるかもしれない

と思っていましたが、実際は、電話を切って15分後には亡くなって

いたと朝になって聞きました。


最後はかなり苦しんだと聞きましたが、

家に着くと、父は安らかないつもの顔で寝ているようでした。



父は、自由奔放な人で、母はかなり苦労したと思います。

自由に好きなことをする父の後ろで、いつもいつも父の心配ばかり

してきたように思います。

最後の最後に母を病室に呼んで、呼吸困難の中

「ありがとう」

と言った気がすると。母にはそう聞こえたと。


格好つけるところがあって、入院中痛くても我慢をして、母や姉が

「痛いようです」

と看護婦さんに伝えると

「余計なことを言うな!」

と叱られたとか。


お父さんらしいなぁ。


棺の中には、大好きな民謡のテープと、忘れっぽい父のために歌詞カード。

唄の舞台で着る着物。砂糖たっぷりのコーヒー。甘いお菓子。小銭。

パチンコの玉も入れてあげたかったけど、手元にありませんでした。


火葬した10円玉はお守りとして身内でもらうのですが、抗がん剤の

せいか、すべて緑色に溶けて残っていませんでした。

肺のあたりの骨も、薄く青い色に変色していて、苦しかったろうな。


本当に頑張ったと思います。


いつも笑っていて、楽天家で、周りの人からは「○○ちゃん」と

ちゃん付けで呼ばれていました。

私は小さいころから「○○ちゃんの娘」と呼ばれるのが好きでした。


お父さん。本当にありがとう。







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最終更新日  2012年09月22日 12時43分03秒
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