詩人たちの島

2006/07/21(金)22:39

You can never capture it again.

music(25)

 エリック・ドルフィーの最後のアルバム『ラスト・デイト』を蔦谷で借りてきて、今聴いている。これは倉田さんの『…ほんの一滴』(笠間書院)にある「ミシャ・メンゲルベルクの音 横濱ジャズプロムナードに行く」に言及されているアルバム。ミシャ・メンゲルベルクはこのときの録音でピアノを弾いた。彼が03年の横濱ジャズプロムナードに出演したのを聴きにいった感想が上記のエッセイである。この倉田さんのエッセイは短いがいろんなことを考えさせられる。  このアルバムは1964年6月2日にオランダのヒルヴェルサムで録音された。6月27日、ドルフィーはベルリンに入り、6月29日、夜7時、同地のアッヘンバッハ病院で糖尿病のために急死した。36歳という若さだった。このときサイドメンとしてピアノを弾いたメンゲルベルクは、倉田さんによれば29歳。ドラムスのハン・ベニンク、ベースのジャック・スコール、彼らはメンゲルベルクのトリオとしてオランダで演奏していた。ドルフィーはしかし、このトリオとすぐに息が合い、いろいろ教えながら、録音したらしい。彼らは後日を期して、ドルフィーがベルリンに行くのを見送った。その死を知らされたメンゲルベルクは「もうだめだ」と呻いたという。またドルフィーの死後2日目に、ハン・ベニンクのもとにドルフィーからの手紙が届いた、「カフェ・モンマルトル」で落ち合うための詳細が書き込んであったという。若き偶像の死に出遭ったメンゲルベルクたちはそれからどう生きてきたのだろうか?  倉田さんが横浜で彼のピアノを聴いたとき、メンゲルベルクは68歳であったということだ。ちなみにこのレコード「ラスト・デイト」を倉田さんが知ったのは18、19歳の頃という。「アルバム収録のリアルタイムからすればたかだかその7、8年後にすぎない」と倉田さんは書いている。アルバム発売後約40年の経過、そのころ十歳ほどの倉田少年も40年の人生を閲したわけである。  その目の前に演奏しているメンゲルベルクがいる。その演奏の描写の素晴らしさは、どうぞかつての倉田少年の本『ささくれた心の滋養に、絵・音・言葉をほんの一滴』(笠間書院)を購入されて味読してほしい。  私が言いたかったのは、このアルバムの素晴らしさである。そして、倉田さんのエッセイの素晴らしさである。インプロヴィゼイションを終わって退場するメンゲルベルクの後姿の描写の後に、倉田さんはつぎのように書いている。このエッセイの最後の部分でもある。 ―さいきん思うのだが、次のごときは、ある希望の言葉として読まれるべきだと、私は考えるのである。  音楽は演奏とともに中空に消え去ってしまい、二度とそれを取り戻すことは出来ない。        (エリック・ドルフィーによる『ラスト・デイト』録音中のさいごの発言) ―― このことばを希望の言葉として読むということ、様々なことを考えさせられる。 When you hear music, after it’s over, it’s gone in the air. You can never capture it again.

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