詩人たちの島

2006/07/26(水)22:10

夏相聞

書評(49)

 午前は講習3日目、午後は成績不振者の保護者を呼んで、生徒を入れての三者面談。次第に虚しくなっていくが、「教員」らしく説教をする。一番苦手なことを、やらなければならないというストレス。  電車の中で、富岡多恵子の「釋迢空ノート」(岩波現代文庫)を読んでいる。とてもおもしろい。これは大阪ネイティヴからのもう一人の大先輩の大阪ネイティヴに寄せる愛憎の錯綜したオマージュである。推理小説を読むかのようなスリルとサスペンスに満ちている。富岡探偵の鋭利な推理に通説の壁がもろく崩れてゆく。しかし、折口信夫という人は、今宮中学の教員をやめて東京に出てくる彼を慕って卒業生が何名もついてきて、共同の下宿生活を東京で過ごすのだから生半可な教師ではない。浪人連中との共同生活、彼らの下宿代や学費までも面倒を見て、ついに500円という当時でいえば大金の借金までしてしまう。これは帰阪するという条件で実家に立て替えてもらうのだが、もちろん帰ることはしなかった。  その弟子たちのなかに伊勢清志という美青年がいて、これが浪人をして、鹿児島の七高にどうにか合格する。この子が鹿児島の色町の女性を好きになって、卒業間際に悶着を起こすと、信夫は鹿児島まで説教に二回も行くのである。しかし、これはこの弟子に折口が命がけの恋をしていたからでもある。この恋の痛切さを富岡は彼の短歌の数々から鮮やかに実証してゆく。折口がゲイであるのは有名であるが、そういうことを先入観的として書いていくのではなく、富岡の筆はその「恋」のすごさをそのままにとらえてゆく。こうなったらホモでもヘテロでも関係ない。 汝が心そむけるを知る。山路ゆき いきどほろしくて、もの言ひがたし 額(ぬか)のうへに くらくそよげる城山の 梢を見れば、夜はもなかなり わが黙(もだ)す心を知れり。燈のしたに ひたうつむきて、身じろかぬ汝(なれ)は これらの歌は鹿児島で清志と対面しているときのものだ。そして釋迢空の第一歌集『海やまのあひだ』の巻頭歌は、「この集を、まづ与へむと思ふ子あるに」という詞書のついた、 かの子らや われに知られぬ妻とりて、生きのひそけさに わびつつをゐむ というのである。これはこの集の序歌ともいうべき扱いで一ページに一首の掲載である。逆編年体で歌が載せられている。これは大正十四年のものでこの一首だけだから、ことさらに異様に見えるのかもしれないが。  この短歌について富岡は次のように書いている。 ―― …この歌集を開くたびに、なにか最初から呪詛のカタマリが自分の前に置かれたような気にさせられてきた。このはじめての歌集をまっ先に与えたい子がいる、その子は自分に内緒でひそかに妻をめとり、息を殺すようにしてさみしく老いているだろう、というのだから、なんとなくその子に呪いをかけているような気分を感じ、読むものにもその呪いがかかってくる、いや、この歌集は、一冊丸ごと呪いの書であるのかもしれぬという不安な気にもさせるのである。「僕から背いていった者は皆不幸になるよ」と「恐ろしい呪詛のような言葉を、深い自信をこめて」迢空はいうことがあったと岡野弘彦が記すのを読めば尚更に、この巻頭の歌にただならぬ気配が感じられる。  「この集をまづ与へむと思ふ子」とは、迢空の今宮中学校での教え子、伊勢清志のことである。「かの子らや」の「ら」は複数をあらわす「ら」ではなく、岡野氏によれば「愛称の接尾語」とのことである。とすれば、迢空の第一歌集は、まず伊勢清志に与えられる、というより、伊勢清志のために編まれたとさえいいたくなる。―― こんなふうに先生から思われた生徒はどうすればいいのだろうか。師を背いて生きていかざるをえないではないか。昔、加藤守雄の『わが師 折口信夫』を読んだとき、折口が加藤に、師と弟子というのは「そこまで」(性的な関係・同性愛)ゆかないと「単に師匠の学説をうけつぐと言うのでは功利的なことになってしまう」と主張したのを知ってビックリしたことがあった。富岡は折口がその歌集や談話から隠蔽している最初の恋、折口がジエンダー的に言って「女」として少年のころに愛された初恋があったことを、その相手を探索することで述べている。その「決定的」な恋が隠蔽されたのは、彼が「女」であり、「男」ではなかったからというのだ。「男」として、伊勢清志との恋はあり、そのことは「短歌」や談話として弟子筋の人たちにそれとなく幾度も語られるものになったわけだ。 今日の暑さで、おかしなことを書いているような気がするのでやめるが、富岡多恵子の「伝記」はおもしろい。中堪助について書いたのもよかったけど、この釋迢空ノートは何よりも大阪人としての迢空を鮮やかに解剖しているので、神様かなんかのように賛嘆するだけの弟子筋の人たちの書いたものとちがって、迢空の悲しみや言わずに胸の中にしまったものの苦みと深さがとてもよく理解できる。 かの子らや われに知られぬ妻とりて、生きのひそけさに わびつつをゐむ という短歌の解釈について、富岡はその下の句を「息を殺すようにしてさみしく老いているだろう」とやっているが、最終的にはそういうことかもしれないが、この「を」は間投助詞で「わびつつゐむ」という意味に違いない。「老いる」は「オイル」であって「をゐる」ではない。 ま昼の照りみなぎらふ道なかに、ひそかに会ひて、いきづき目守る  (夏相聞)

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