詩人たちの島

2007/05/10(木)23:18

砂粒のイメージ

essay(268)

正しさとか善なるものとかが、人を自由にするかというと、そうでもない。それらはいつでも、あるところにのみ独占されていて、それの公平な「配分」というのがなされたためしはない。 あるところとは、権力であり、資本である。単純な真実。 今日は嵐のように風が強く吹いた。グランドの砂が巻き上げられて、小さな竜巻のように舞っていた。 「死ね」というのは、どういう「正しさ」にもそういう権利はない。「ただ生きさせろ」、というのは空に舞い上がる砂粒のような弱さかもしれないが、きみたちの視界をさえぎり、その砂粒のイメージそのものが視線となって、逆に今度はきみたちをくみしく、そういう逆転を、ドゥルーズがどこかに書いていたような気がする。

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