詩人たちの島

2007/12/24(月)21:27

Corpus delicti

politics(60)

今日のニュースから。首相が、「国の責任」を薬害肝炎の被害者救済のための議員立法に明記することに前向きの発言をしたということだ。結構なことである。それに反して、文科省の教科書検定審議会なるものは、沖縄戦での「集団自決」に日本軍の関与を認める各教科書会社の訂正修正に対して、再修正を命じていたということである。薬害は認め、「日本軍」の関与は認めたがらない、ということらしい。薬害は人の命を奪うにいたる薬を国が「許認可」したということである、「集団自決」は日本軍、ということは日本国が、陰に、あるいはあからさまに強制して生を人為的に中断させることを許認可したのである。沖縄県民の抗議のうねりを受け、文科省の大臣は修正に対する「前向き」の発言をしたはずだ。それを受けて各教科書会社は訂正した白本を提出した。しかし、それに再修正を指示したという。指示したのは審議会の小役人たちであろう。大臣の意向を無視したわけだ。どういう再修正か、具体的にはわからないが、どうせロクでもない、「後退」にちがいない。 テキサスを南下してゆくと、メキシコ湾の近くに、Corpus Christiという大きな町がある。テキサスの友人たちと、その昔、そこを通過した。「聖体」という意味だが、今日は聖誕祭のイブ。そこから、こういう話題を書き続ける気がしなくなってきた。しかし、Corpus delictiという言葉もある。これは大江の「定義集」で知った言葉だが、慶良間諸島の「集団自決」の死者たちを、大江は書くのがしのび難くて、この語を和訳して「あまりにも大きい罪の巨塊」(「沖縄ノート」p210)と表現したという。これをめぐる曽野綾子の滑稽な誤読については、新聞の「定義集」を読んでほしい。 言いたいこと。いつになったら、日本国は自らの「過ち」の「許認可」で、死なしめた無数の無残なCorpus delictiたちのまえに、頭を深くたれ、その「責任」をいさぎよく認める日を持つことができるのだろうか。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る