【修正】なぜ間違えるかという話(誰だって嫌なものは見たくないの巻)
分かりにくかったので修正しました。「少子化対策とローカルミニマムという話(主観的不幸の問題)」の続き良く、女性の社会進出が妨げられているから少子化が止まらないのだという識者は多くいます。特にフェミニズム論者に多いのですが、彼らは欧米では女性の社会進出が進むと共に出生率が増加しているのを根拠にそのような論調を取るわけです。さて、難題を解く際に重要なのは、それは果たして難題なのか、と考えることです。私は良く「腑分け(解剖のこと)」と言ってますけど、一見難問でも要素に分解するとそうでもない、とういうことは少なくないんですね。無論、病膏肓に入っててどうにもならんってことも多々あるのですが。仮に前述の内容が正しいと仮定した場合、仕事と育児の両立が容易ならば子供が増えるということなんですが、日本においては夫婦一組あたり大体2人の子供がいます(統計上明らか)。では、育児支援などを拡充すれば、夫婦が4人の子供を持つようになるといえるかということです。実際には、経済的や住宅事情の関係で3人なら何とか、4人ともなるとさすがに多いと思う人が少なくないでしょう。私に言わせれば、育児支援などしたければすればいいさ、それで夫婦が子供を2倍産んでくれると思っているなら、ということです。どれだけ育児支援を拡充したところで既婚者が子供を4人5人と産んでくれるわけが無い。なぜなら今の少子化の原因は、若者の晩婚化と未婚化にこそあるからです。フェミニズム論者はこの点に着目し、なぜ若者が結婚を避けるのか、それは女性が就業において差別されており、結婚を機に退職を余儀なくされたり、あるいは出産や育児と仕事を両立できないから結婚したがらないのだと主張します。ですがちょっと考えるとこの主張がおかしなことであると分かります。なぜなら上記の対偶を取ると、女性が結婚をしたがるのは出産や育児と仕事を両立できるからだ、ということになるのです。あれ、と思いませんか。対偶を取るだけで命題の不自然さが浮かび上がります。どういうことかというと、ここには女性の自由意志、果ては若者の結婚意識や恋愛意識が全く考慮されていないということなのです。これはフェミニズム論者が最も触れられたくない点で、必死に隠してきたことでもありますが、現代における恋愛格差問題、つまりモテる人間はますますモテ、モテない人間は全くもってモテないという問題、現代の恋愛弱者の問題です。単純に、ブスやキモメンで相手に恵まれないというばかりではなく、性格的に恋愛に踏み出せない、恋愛感情が湧かないので積極的になれない、そもそも周辺に適当な異性がいないなど、恋愛格差問題は多くの要素があります。そして少子化対策を考える側としては、少子化問題が即ち結婚問題であり、結婚問題は即ち恋愛問題であるということを直視したくないのです。なぜか、それは恋愛はそもそも自由なものではなく、恋愛強者のみに可能な遊戯に過ぎないという事実を認めざるを得ない、つまり恋愛は本来差別的なものだという構造を認めざるを得ないからです。またこの差別的構造には経済的な問題も付きまといます。山田昌弘氏は、ビンボーな男はつまりモテない、結婚できないんだと話した際、官僚の方から「学者さんはいいな。我々がそんなことを言ったら首が飛ぶよ」と言われたそうです。氏は、そもそも飲食業での接客や単純労働に従事する女性に、結婚を先延ばしにしてまでも仕事に専心するような意思はない。そのため専業主婦志向が高いものの、夫となるべき男性の収入が減少傾向にあるため両者のマッチングが上手くいかず、結果として未婚者が増えると論じます。よく、なぜ結婚をしないのかという問いに対して「出会いが無いから」「良い人にめぐり合わないから」と答える若者は多いのですが、これについて「出会い」とは何なのか、「良い人」とは何なのか考えねばなりません。例えばふらりと立ち寄った喫茶店の給仕が若い女性(ないし男性)だった場合、客として訪れた彼(彼女)は「出会い」「良い人」と捉えるでしょうか。私が思うに、世の中にそうそう出会いなど転がっていないのだと思います。長くなりましたがとりあえずここまで。