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カテゴリ:chibi
ちょっと怖いタイトルだけど、全12回の保育付き講座、今日はそんなテーマでした。
どんなに努力しても上手くいかないこともあり、仕事などと違って自分の思うようにならない、また頑張っても誰も評価してくれない、それが子どもとの生活。 ニュースで耳にする虐待の事件、まったく他の星の話とは思えない。もちろんあってはならないことだけど。 子どもの虐待防止センターの職員の方が来て下さり、レクチャーの後にグループに分かれて話し合い。 話し合いの方法は、自助グループなどでよく使われる、一人ずつ今感じていることを話し、それに対して周りは何もコメントしないでただ聞く、という方法だったのだけど、初めてだったのでちょっと新鮮。 自分が話すことに対して、何も意見されないというのは、否定される不安が一切ないということなので、思いのほか話しやすい。 逆に聞き役に徹するという姿勢だと、集中することで話し手の気持ちがより理解できた気がするし、同じような環境の人の話を聞くということで話し手への共感する思いが自分に鏡のように跳ね返ってきて、ちょっと自己肯定できて気持ちがポジティブになる。 今回も、これまでの講師の方が仰っていたメッセージと重なる部分が。 ・自分にも家族に対しても、カンペキであろうとしないほうがよい。これに尽きるのかな~ ・周りは涼しい顔で子育てしているように見えるけど、みんな同じ苦労をしている(勿論育てやすい子、育てにくい子の違いはあるが、個性は親のせいではない)。 ・子どもや夫に意見を主張したいときは、"I(アイ)"メッセージで。「こうしなさい」ではなく、「私は、こうしてくれたらうれしいな」と一人称で。 それから、印象的だったのは、虐待されて育った人が、自分も虐待してしまうというのはよく聞くけれど、自分と自分の親との関係が、自分の子育てに与える影響。 例えば私たちの親世代は、大変なことがあっても涙を呑んで、子どもの前では弱いところを見せない、ということを美徳としてきた人が多い。 そうすると、子どもも親に対して、周りに対して、自分を出すことが苦手になってしまうかもしれない。 また、身体的な虐待を受けて育ったのではなくても、わがままを言って泣く自分の子につい手をあげてしまう母親の例。 それは、いつも完璧で良い子であることを求められて育って、自分が親になった時に、子どもがワガママを言うと、自分はそんなことは許されなかったのに、と自分の中のコドモが嫉妬するのだと。 どんなひとでも、程度の差はあれど親から受けた心の傷を持っている。 私も気づかないうちに子どもを傷つけてしまうことがあるんだろうな。 だけど、完璧な人はいないのだし、弱いところも見せながら、時には夫婦喧嘩も見せながら(ちゃんと仲直りまで見せて良いケンカの例をね^^)、人間臭くね。 ま、我が家の子供たちは育てやすい方に入るのかな、と思う。 けっこういつもゴキゲンだし、長男もやさしい子だと感じる。 朝食の用意をしていたら、「うわ~!」とか「すごーい!」とか大騒ぎしていたので何かと見ると、イス持ってきてドバイの高層ビルみたいなの作ってた。 ちなみに右手は「にさーい!」。まだピースが難しいね^^ 次男を転がしておいたら、横で寝た長男。 いつの間にか次男も寝た^^日中は殆ど寝かしつけがいらない親孝行さん☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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