2011/04/09(土)00:24
小林信彦の新作によろこぶ
きのうの深夜11時半ごろ、大きな地震がきた。
パソコンのところにいたぼくは急いで居間に行き、テレビを押さえた。まるで先日きた大地震の再現シーンのようだった。
でも昨夜はかみさんが家にいて寝ていたので安心だった。
激しい揺れに目覚めてしまい、しきりに大きいね長いねと怖がっていたが、ぼくは同じ屋根の下にいることで気持ちにゆとりをもてた。
震源宮城県沖、マグニチュード7・4というこの地震のさなかにあって、いちばん気になったのは、もしも福島第1原発が襲われたら、というものだった。
原子炉設計にかかわった者自身が「設計に甘いところがある」といっている原発なのだ。
設計士の上司や東京電力は設計者の提言を鼻の先で笑う感じで相手にしなかったという。
これは設計者の証言として3月23日付東京新聞朝刊第1面に載っていた記事で知ったことである。
ぼくはふたたび、きのうだったかに読んだ経団連会長の談話を思い出す。
「東電に甘えはない」と断言していたけれど、そんなことはないのである。
話を変えたい。
文學界3月号に小林信彦の新作が載っている。
『流される』という表題の長編だ。
おおよろこびで図書館から借りてきたのだが、いつまで経っても原発問題が不安定で落ち着かず、記者会見やらテレビニュースやらを見てばかりいて本が読めない。大災害からずっとテレビにずぶずぶなのだ。
小説の主人公は小林信彦さん自身で、要するに自伝的な小説なのである。
興味の大半はそこにあり、たとえば戦前戦中戦後の青山のようすなど、ぼくも昭和20年代の青山にはよく行っていたのでまことに興味深い。
きょう読んだところには主人公が本屋で万引きをするくだりがある。
そこを読んで、ぼく自身の万引き体験のことをブログに書こうと思ったのだが、ほかの友人のことも書かなければしょうがないので、きょうはやめておく。
あしたまた書き足すと思うけど、もうれつな眠気なので、今夜はここでストップだ。
原発のことや野菜や牛乳や魚のことも述べておきたいのだが、いかんせん眠い。
ところで、今夜もまた風評被害のことが気になる。
テレビニュースではどこでも軽~い使いかたで風評被害について述べるから何となくうなずく人が少なくないと思う。
それが「風評被害」なのだ。
風評被害に気をつけましょうとアナウンサーやキャスターがいう。
そのとき彼らは「風評被害」の中身を明確に伝えていない場合が多いのだ。
午後のワイドショウなど、ふと見たときに若いキャスターが「風評被害に気をつけなければなりません」などと、わかったような顔つきでいう。
それまでの話題から考えてぼくは、それは風評被害というべきことではなく「放射能被害」というべきだろ、と思うのだ。
風評被害というものはある、ぼくはそれを否定するものではない。
ところが、風評被害といっていることの内容が「それは放射能被害だろ」といいたくなる例がいろいろとある。
また、それとは別に、心理的恐怖感というものもある。
加えて風評で「安全」を振りまいている場合もあり、往々にしてこれが風評被害の基となってしまうことがあるのだ。
きょうは、ニュースを見ながら、出荷制限をかけられている野菜なんぞ東電がぜんぶ買い取ればいいのにと考えつづけた日であった。
つづく。