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テーマ:心の病(7318)
カテゴリ:AC・共依存・心のメカニズム
Noと言えない人とNoと言える人は、どこが違うのでしょうか?
大きく二つの違いがあります。 頼みごとをされたとき Noと言える人は、 1.自分がされたら喜ぶことをしたいと【自分が】思っている (自分の中の決め事、自分の正しさなので、自分で変えられる、融通がきく) 2.自分がしたいから頼みごとを引き受けます (基準が自分) Noと言えない人は 1.相手の期待に応えなければならないと思っている (実際は、禁止令によって刷り込まれたもので、自分で変えられない、融通がきかない) 2.しなければいけないと感じてしまうので、イヤであっても断れなくて引き受けます (基準が外側にある) Noと言える人は、釈尊の自灯明、法灯明と同じです。 Noと言えない人は、表面的には「Noと言える人」と同じですが、 そこに至る動機の方向性が逆なんです。 「シリウス革命」という本を読んだ方は、わかると思いますが、 この方向性の違いは、統合とは逆の融解へと向かう方向性です。 ふつうに考えても、 自分の『こうしたい』という情熱を実現させていくとき、自己実現の実感、喜びがあるのはわかりますよね。(^^) 逆に、周りから「こうしなさい」「こうしなければならない」「こうしなきゃダメじゃないか!」と言われてやらされるとき、自分が押しつぶされて、奴隷のような状態で、心から喜びが消えていくだろうことは、分かりますよね。 その違いが自分が基準か、他人が基準か 自分から行動しているか、誰かの価値観に従わされて行動しているかなんですね。 <戻る|続く> ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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