2006/02/13(月)07:58
Noと言えない人言える人
Noと言えない人とNoと言える人は、どこが違うのでしょうか?
大きく二つの違いがあります。
頼みごとをされたとき
Noと言える人は、
1.自分がされたら喜ぶことをしたいと【自分が】思っている
(自分の中の決め事、自分の正しさなので、自分で変えられる、融通がきく)
2.自分がしたいから頼みごとを引き受けます
(基準が自分)
Noと言えない人は
1.相手の期待に応えなければならないと思っている
(実際は、禁止令によって刷り込まれたもので、自分で変えられない、融通がきかない)
2.しなければいけないと感じてしまうので、イヤであっても断れなくて引き受けます
(基準が外側にある)
Noと言える人は、釈尊の自灯明、法灯明と同じです。
Noと言えない人は、表面的には「Noと言える人」と同じですが、
そこに至る動機の方向性が逆なんです。
「シリウス革命」という本を読んだ方は、わかると思いますが、
この方向性の違いは、統合とは逆の融解へと向かう方向性です。
ふつうに考えても、
自分の『こうしたい』という情熱を実現させていくとき、自己実現の実感、喜びがあるのはわかりますよね。(^^)
逆に、周りから「こうしなさい」「こうしなければならない」「こうしなきゃダメじゃないか!」と言われてやらされるとき、自分が押しつぶされて、奴隷のような状態で、心から喜びが消えていくだろうことは、分かりますよね。
その違いが自分が基準か、他人が基準か
自分から行動しているか、誰かの価値観に従わされて行動しているかなんですね。
<戻る|続く>
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