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Apr 29, 2006
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 スピリチュアルな本の翻訳で有名な山川紘矢さんがご自身が翻訳された「なまけ者のさとり方」◇タデウス・ゴラス著◇山川紘矢・亜希子訳◇地湧社という本にあとがきを書いていらっしゃいます。

 今は、PHPから文庫も出ています。
なまけ者のさとり方


 そのあとがきの中で山川さんはこう書いています。

--- 引用開始 --------------------------------------------------

 そもそも「さとる」とはどういうことなのでしょうか?
本文中にも説明がありますが、
このことは人によって、それぞれ定義、解釈が異なることでしょう。

私が学んだことは、
「枠をはずす」
あるいは
「限界を設けない」
そして
「すべてを愛する」
ということだと思うのです。

「こうあるべきだ」
「何々でなければならない」
「これは正しくて、あれは誤りだ」
「この方が上だ」
「この方が得をする」
「勝つ方がいい」
というような自分の体の中に深く根をはっている判断基準に一つひとつ気がついて、
「この世には何でもあり得る」
「良いも悪いもない」
「さとってもさとらなくてもいい」
「今の自分が最高」
「この世はこのままで素晴らしい」
ということが体の中から湧き上がってくることではないでしょうか。
つまり、すべてを受け入れ、愛する、ということです。
そうすると、地獄のような状況にいると思っていたのが、
実は天国にいたことを発見するのです。

(P120 あとがきより)

--- 引用終了 --------------------------------------------------

 昨日のパラドックスを解くヒントがこの言葉に載っています。
面白いのは、
先日のブログで紹介したように足立幸子さんが
「損得」から「尊徳」へということを言っていましたが、
山川さんも
「この方が得をする」という悟りから遠ざけている判断基準、枠に気づきましょう。
ということを言っています。

 身体の基準を優先すると、
損得や勝ち負けは、肉体維持に大きく関係してしますから
とても重要な価値を持ちます。

 ところが、心の穏やかさ(さとり)を優先すると
別なものが大切になってくるんです。

 私たちは、一般的に当たり前のことは省略して話す、考えるようにしています。

たとえば、
「今日は晴れだね」
っていう言い方をよくすると思います。

あるとき、ネットで
「今夜はきれいな満月が出ていますよ、みなさんも見てみませんか」
みたいな発言があったのですが、
ネットだといろいろな地域の人が参加していますから、
雨や曇りでつきが見えない地域もあったのです。

また
「今日はいい天気だね」
っていう言い方もよくしますよね。

 これなど、特に要注意の思考です。
なぜなら、人により良い天気と判断するものが違うからです。

 一般的には、差しさわりのない話ということで天気を挨拶につかいますが、
銀行の人は、大勢のお客様の前では天気の話をしないらしいです。
たとえば、
「良い天気が続きけっこうなことですね」
と冬にスキー場経営者が混じっているところで言ったら、
『小雪でスキー場がオープンできずに困っているのになんて無神経なやつだ!』
と憤慨されるかもしれないですからね。

 そんなふうに自分の判断基準を自分以外に当てはめるような思考を止めることが
さとりなのです。
それを一言で【無分別】と言います。

 和尚の存在の詩でも、
グルジェフの弟子のP.D.ウスペンスキーの言葉を使って
「私が理解したところによれば」を付け加える(P106)、
という形で同じことを言っています。
存在の詩

--- 引用開始 --------------------------------------------------

最初にまず“私の理解によれば”をつけるんだ
それは君の理解なんだよ
なぜならば君は自分自身に従って聞き
自分自身に従って見ているにすぎないからだ
君たちは
見ることや聞くことについての
凝り固まったパターンがあるからだ
(『存在の詩』P107)

--- 引用終了 --------------------------------------------------

 私たちの心は、
いつもこの凝り固まったパターンで
思考しその結果を心に反映させています。

 苦しみを無くしたい人は、
この凝り固まったパターンを取ればいいのです。

 気づいた人は、みんな同じことをいうのです。

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最終更新日  Apr 29, 2006 09:46:13 AM
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