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テーマ:今日の出来事(292090)
カテゴリ:AC・共依存・心のメカニズム
ガソリンスタンドでガソリンを入れ、
タイヤに空気を入れていたときのこと、 パォー、パォー、パォーとフォーンを連続で鳴らし続ける車が・・・ 『うるさい!一体どうしたの?』 と思って見ている間も、まだ鳴らし続けている。 一分もならし続けていたでしょうか? スタンドの店員がその車に近づき、 忘れていた雑巾を回収するとフォーンは止み、 その車は出て行きました。 なんということはない。 その車の運転手は 『窓を拭いた雑巾の回収を忘れているぞ、早くしろ!』 と言いたかっただけ。 それをマナーというような表面的な視点ではなく、 心の視点から見てみたいと思います。 確かに使った雑巾を回収するのは店員さんの仕事でしょうが 忘れてしまうこともあるだろうし、 忙しくて手が回らないこともあるでしょう。 そんなときは、できる人が、そうしたい人がすればいい。 私なら、早く出発したいのなら、 「雑巾をありがとう」 と言って店員さんにお返しすると思います。 この人は、なぜそれができないのでしょうか? それはこの人がコントロールドラマをしているから。 人(この場合は店員)を従わせることで 自分の不足した自己肯定感を補完しているから、 自分がえらいと感じられる状態を無意識に求めてしまうのです。 おそらく、この人に 「そんなにうるさくフォーンを鳴らさずに、 『雑巾をありがとう』と言って返しに行けばいいじゃない」 と言ったら 『なんでお客であるオレがそんなことしなきゃいけないんだ』 というような反論をするだろうと思います。 『店員になんだから、お客であるオレに奉仕するのが当たり前だ』 という頑なな(かたくなな)自分の思い、自分の正しさを 周りの人に押し付けているのです。 そこにあるのは、自分が低く見られることへの怖れ。 それは表面的には、 マナーの問題とか、 店員の教育の問題として議論されて、 しかも、それは基準が違いますから、 決して結論はでないまま終わることでしょう。 それを自己肯定感を補うためのコントロールドラマで そうしないではいられない状態だと知ることで この人に対する見方がまったく別のものになります。 この人のこのような態度を許せるかどうかも、 この人の問題ではなく、 自分のコントロールドラマの問題となるのです。 もし、このような態度の人を許せないとしたら、 自分も自分の正しさをこの人に押し付けようとしているのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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