ザビ神父の証言

2009/06/20(土)20:42

ヴィクトリア女王とウエディングドレス余話(1)

歴史の中の女性像(86)

ヴィクトリア女王とウエディングドレス余話(1) ヴィクトリア女王の即位にちなんで、彼女のウエディングドレスのことに触れたのが、やぶへびでした。 手元に多少の資料がありますので、当時のイギリスのウエディングドレスについて数回記そうかと思います。といっても、現在2本の連載を抱えていますので、折々にということになるかと思いますので、ご容赦下さい。 先ずは下の絵は、割合ポピュラーで、あちことで見られるヴィクトリア女王の若き日の肖像です。彼女は先王ウィリアム4世の姪にあたり、国民に評判の悪かった2人の伯父(ジョージ3世の長男ジョージ4世と次男のウィリアム4世)の後を受けて即位しました。そのため当初は彼女も伯父達の悪評を引き継ぎ、不人気の女王として出発したのです。 1840年2月のアルバート公との結婚が、彼女とアルバート公の2人の評判を劇的に変えたのです。ザクセンの公爵家の出て、女王とは遠縁にあたっても、外国の貴族でしかも無一文に近かった彼は、イギリスの上流階級には軽く見られていたのです。ですから、その意を受けたマスコミは、当時の常として平気で偽情報を流したりしていたのです。曰くホニトンのレースと偽って、実はブラッセルのレースを使っている。ドレスもオランダに発注したなどなど、上げればキリがありません。 そうした偽情報や悪評を押し流してしまったのが、民衆の支持でした。王室の悪評に悩む宮廷が、窮余の策として2人の結婚式の1部を公開の行事で飾ったのです。結婚式の数日前、ドーヴァーについたアルバート公は、各地で広場の歓迎を受けて、民衆に素顔を晒して、その歓迎を受けたのです。その挙句に、2人の結婚式は質素ながら、お祭り騒ぎを伴っていたのです。 教会の誓いの際に、夫君のアルバート公が花嫁のヴィクトリア女王の指に、結婚指輪をはめると、それを合図に広場に祝砲が轟き、ロンドン中の教会でお祝いの鐘が撞かれたのです。その挙句に『タイムズ』の記事で、女王のウエディングドレスについての詳報が知らされたのです。 画面中央がアルバート公、右手に彼と手をつなぎ、一心に彼を見つめているヴィクリア女王です。2人が相思相愛であること、とりわけ女王の方がご執心であったことが、民衆に広く伝わって、その支持を受けていたことが、こうした構図に繋がったのでしょう。 この結婚式の成功と好評が、女王の不人気を一挙に解消し、それどころか、以後女王の人気は高まる一方となっていくのです。                            続く

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