カテゴリ:大庭の歴史
Welcome!!! (366日への旅 今日の誕生花 Wikipedia を引用)
おはようございます 昨日は、一日中の雨でした 大庭の昔の集落のひとつである四谷について書きます 四谷は羽鳥村の集落で、大山詣での人たちでにぎわっていたところ です。ここは大庭村との境になり、以前は大山道の両側で一つの 集落だったようで、大庭村側の集落も四谷と呼んでいました 二ッ家神明社
二ツ谷は二ツ家とも書きこの道筋に二軒茶屋があったことからで、基幹の 東海道、大山道、鎌倉道などの休憩所としてにぎわっていた。
石仏、真ん中が古い、寛文期の庚申供養塔です
右側が大山道への道標で、左は弘法大師像です
標識だけですが、一里塚です、お江戸から54kmで約13里ですね。 向こうの方に旧家かと思われる大きな家もあります。
庚申塔庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。 庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が、庚申の日の夜[1]寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。(ネットより)
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[大庭の歴史] カテゴリの最新記事
|