酒にまつわる思い出話。
『お兄さん。盃返してくれないと私達が飲めない。』。高知県与野市のとある個人宅。そこで酒の接待を受けた。6人が居た。在京時代も若かりし頃。得意先にコンピュータシステムを導入。得意先は、東京本社、大阪、山口、四国に事業所が有った。それぞれに出張した。その中の四国に装置の搬入立会で出張の折り。東京本社の経理課長+電算室の担当二人。私を入れて4人が四国へ出張。担当の一人の実家が高知県与野市に在った。仕事の立会は翌日。着いた日は東京組4人が担当者の実家に泊まる事になって居た。本格的土佐料理がでんと中央に構えている。周りに座布団が6枚。家主と奥さんそして私達4人計6人。酒が盃に並々と注がれた。全員で乾杯。飲み干した。私以外の人達の空の盃が私の所に集合。何の事かにわかには理解出来ない。そのまま暫し時間が立った(2〜3分)。そこで言われた。『早く盃を返して。私達に盃が無いから一緒に飲めないよ。』そのまま返そうとした。更に追い打ち。『酒を入れて飲んでから返して。』『ここの決まりだから。』そう、酒を注ぎグイと飲み干してから盃を相手に手渡す。つまり5人分飲み干してそれぞれ相手に渡す。自分の盃も空けなければならない。そこからが大変。相手はグイッと飲み干して再び私の所へ盃を置く。それを繰り返す。少しは酒に強かった事も有り返杯を重ねた。2時間位は経っただろうか。これ以上はもう無理と伝えた。ようやく解放。翌日は残ってしまって頭がガンガン。返杯の事を聞いた。新しいお客さんと早く打ち解ける為の作法だと言う。後日思ったが、私以外はこの家に一二度か訪れている。私が初めての客。ターゲットにされた様だった(笑)。TVやラジオで土佐料理の言葉を聞く度記憶が甦る。鮮明に記憶に残る楽しい思い出。宇高連絡船に乗り土讃本線に揺られて高知で下車。そこから与野市へ。宇高連絡船で食べた素うどんに感激。今こちらでもブームの讃岐うどん。未だにこの時の感激を超えられないでいる。機会が有ればもう一度行きたい。