予定より1週間ほど遅れました
プロローグ俺が小さい頃に読んだ冒険マンガやファンタジー小説の主人公たちは、たいてい初めは何の変哲もない普通の少年で、ひょんなことから自分の野望や宿命のために闘っていた。しかしながら、我が人生の主人公、つまり俺は彼らのように普通では無く、かといって野望や宿命に突き動かされているかといえばそれも違う。いつからか俺は、明日へ命を繋げるために、一秒一秒全力だったのだ。ある晴れた日。季節は夏からずいぶん経っているので、おそらくもう冬だろう。何月何日とかは分らない。そういったものを気にする生活は、遠い昔に消えてしまった。だから俺がこの日について言えることは「ある晴れた日」そういう日だった。「…カドタ、何か食えるものをもっていないかね?」ボロ布を体に巻きつけた老人が、よたよたと俺の隣に座る。「ないよ、あったら俺が食ってる。」それを聞いた老人は、顔を上げて口をもごもごさせた。口の中には何も入っていない。おそらく唾液も出ないだろう。俺は老人のその行動が、彼自身の人生を表わしているように思えた。何もない。味のない。乾ききった人間の姿。まぁ、なにもないのは俺も同じ。家は無い金も無い。家族もいない。7歳の誕生日に親に捨てられて、それでも運良く今まで生きている。運良く…ねぇ…まぁいいか。おかげさまで俺には人並の教養も、人間関係もない。あるのは汚く生き延びるための知恵だけだ。そういえば先日名前と生年月日を売った。今は「カドタ」それが俺呼び名だ。「…お前、ここを出るそうだな?」老人が言った。「ん・・・・ああ。耳が早いな。誰から聞いた?」「…なぁに、こんな乾いたところじゃあ、新しい話はあっという間に広まるものさ。」老人は小さくむせ込んだ。いや、笑ったのだろうか?「私がこんなことを言っても仕方ないが、どこに行こうが変わらんぞ…。」老人の声は細く。俺に言ってるように聞こえない。「はは、わかってるよ。でも俺は、ここでこのまま死を待つには少し若すぎるみたいなんでね。」「ふむ…。」老人はそのまま目を閉じて寝息を立て始める。「さて」もう、行くとしよう。何か食べないと死んでしまう。「カドタ・・・」「?」まだ起きてたのか。「気をつけてな」「…あ、ああ。ジイサンも。」彼に背を向けた瞬間、俺は今まで一度も気に掛けなかったことが、なぜだか無性に気になりだした。彼は誰だったのだろう?付き合いは短くなかった。ホームレスのみんなと、不良のたまり場だった廃ビルを占拠して以来の仲だ。お互い「カドタ」「ジイサン」としか呼び合わなかったが、俺にとってあいつは親友に近い存在であり。幼い俺にいろいろ教えてくれた、先生みたいな存在でもあったと思う。だが、それだけだった。俺はジイサンであるあいつしか知らない。気にしても仕方ないことなのに、今さらどうでもいいことなのに。俺はその時、何度となく振り返って問いただしたい衝動にかられいた。ただ、空腹感が冷静に俺の足を勧めている。なにかとても悲しかった。こんな気持ちは久し振りだ。ふと気がつけばそこは街中。ケンソウって漢字は書けないが、その言葉の響きが、いかに今の雰囲気に合っているかを思い知らされる。「はらへった…」声に出して言ってみた。これもまさにという具合に力無く響いた。それに寒い。今日から宿なしと考えると、日の当たる時間を無駄にはできない。快適とは言わないまでも、風よけには困らなかった廃ビル生活を、この時期にわざわざ捨てたのには理由がある。しかし、その説明は今しばらく待ってほしい。今ラーメン屋で立ち上がる客を目撃した。おやじがどんぶりを下げる前に残ったスープを飲んでくる。「うまかった」声に出して言ってみる。白い湯気に交じって出る言葉の響きほど満足感は無い。さて、どこまで話したか…。そう、宿を捨てた理由。それは三日ほど前に遡る。あれも今日のように晴れた日の朝だった。「ジイサン、今朝トシヨさんが路地で死んでたよ。」俺は牛乳配達を待ち伏せしていて見つけた物をそのまま報告した。まぁ俺らみたいな生活をしてる奴には珍しいことではない。「どうせ、使えそうな持ち物はなかったのだろう?」老人は紙袋を煮詰めたドロドロを舐めながら言った。「ああ。」ホームレスの死体なんざ、変死体でもない限り警察も真面目に調べやしない。のたれ死ぬような奴の遺失物を探したってしかたないからな。だから、転がってる仏さんの物は暗黙の了解的に俺たちの物だ。ただ何も持ってないことが圧倒的に多いことも言うまでもない。「あ、でもなにも持ってなかった訳でもないんだ、今回は。」俺は一枚の紙切れを取り出して広げて見せた。「これ、何かわかるか?」胸ポケットに差さっていたのだが、紙には「くすのき」「肉屋」「ROO」「N」・・・などの、なんの脈絡のない言葉の羅列と、「20000」「682000」「7500」・・・という、これまた意味不明な数字しか書かれていなかった。「ふむ…」ふむ… で?「これは波浪ワークだろうな。」「は…ろう?ハローでなく?」「うむ…」結局それはなんだ。「まぁ、あれだ。就職相談所だな。」「だから、それはハローじゃあ…」「裏の…な。」裏?それはつまり、いわゆる闇サイトみたいなものなのか?「ふむ…」ジイサンはしばし黙った。「私も詳しくは知らないが…裏の仕事を、身元不明の奴らに工面してくれるらしい。」「おおー。」なるほど、身元がばれるリスクが低いという闇サイトの利点に対して、その波浪ワークってのは実際に雇用者と会える分、信頼性が厚いって訳か。もともと身元不明の奴に仕事を頼めば互いのリスクも低い。「 …それはどこにあるんだ?」「わからん…。実際にあるのかというのも疑わしいひとつの伝説みたいなものだからなぁ。」「ふーん。」まぁ、裏と言うからにはそうだろな。「ただ…。 波浪ワークは何も持たない者にのみ、その門を開くと言う・・・・。」「 ………腹減ったな。紙煮くれ。」「…牛乳と交換ならな。」「それは嫌だ。」そして、三日後。そこには宿なし名無しになった俺がいたりする。バカだと言ってくれ。しかし、こんな行動もただの気休め。余裕のあるフリをして、自由人っていいだろ?みたいなな。飽きたらすぐあそこに戻るさ。命より重いプライドなんて俺にはない。はず…だったんだけどね。 つづく