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倫理の進化

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若樹

若樹

Headline News

2006.11.08
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カテゴリ:正統日記
本日の昼頃、件のディレクターの上役の方から電話を頂いて、やっとお話しが出来ました。


電話を頂いた時の、私の最初の言葉が、
「有り難うございます。」でした。


何しろ、誰とも連絡つかないまま、放映予定の日が近付き、昨日、無期延期を聞けたとは言え、相手は名前もおっしゃってくれず…。

無期延期と答えた方も、私と直接話して下さった訳ではない為、

本当に、倒れそうな位、神経が参っていました。


何故、私がそこまで、自分の取材に対して危惧を抱くのか、それは後から説明する事にして、

まずは、今日お話し出来た、プロデューサーの方の見解を、ご本人のご迷惑にならない様に祈りながら、報告したいと思います。


プロデューサーの方は、今回ディレクターと、我々(私と清美さん)の間で、話しがこじれているのはご存じでしたが、

私の取材内容については、ご存じありませんで、私が北海道で、電気もガスも水道もない所で、百名ほどの犬猫を育てている事は、先ほどの私との会話で知って下さいました。


実際それは、非常に興味を抱く相手である事を、ご自身も認めていらっしゃいました。


私も、自分の生活が、他人様の関心の対象となりやすい事は、十分理解していますと答えました。


しかし、私はあくまで一個人として生きている人間であり、犬猫の事は、仕事でもないし、売名行為の為でもない、遊びでやっている訳でもない。


ですから、それを取材に来るおつもりなら、世間に支援さえ求めて回る気のない私には、歓迎致し兼ねますと、申し上げざるを得ませんと。


しかし、今回の取材は、私のブログが作った縁でした。


私のブログは、ご存じの通り、社会通念を変え、全ての生命が、敬意を持って扱われる世界を築く事を、目標にして綴られているものです。


ですから、その理念を理解して、そちらを中心に取材を進め、私の提言に力を持たせる為、実際に自分で実践している生活を、写すと言う姿勢なら、受け入れると。


それを、プロデューサーの方は、しっかり理解して下さいました。

こんな生活をしている女性がいますと言う形から入り、それを見てもらい、では「何故」、この人はこんな生活をしているのか?

その原動力となっている理念とは、何なのか。

自分達は、テレビとして、誰かに何かを伝えて行く立場であるから、そういう形で取材をしたいのですと。


ですから、それは私が最初に、そちらに出した条件がそれなのです。と言いました。


姿勢が真剣であるが故に、興味本位の取材は受けられない。

私の考えを、しっかり理解した上で来て下さいと。


プロデューサーの方とは、そうして互いの意見は一致しました。


今後の放映については、まず、今回の取材は、こちらからお願いした事なので、北原さんの許可なしに、放映などは絶対にしませんと、お約束下さいました。


また、自分はまだ取材のビデオを見ていないので、それを見てから、社の方で、無期延期を撤回するか話し合いたいと。


私は、正直放映は、もう取りやめて頂きたい…。


でも、今回私の所に来てくれた、清美さんは、第三者として、私の子供達や、私がインタビューで答えた理念は、絶対に放映する価値があると、断言されています。


私は、第三者の意見を、優先しようと考える事にしました。


しかし、既に一度、お蔵入りになった取材ですから、放映する方針になるかは分かりません。


また、プロデューサーの方が、私の理念をもし、しっかりと読み込んで下さった場合、これは今の社会には難し過ぎると、判断されるかも知れません。


今は、割と鷹揚に、局の判断を待つつもりです。


取りあえず、私の同意なしに放映はなくなったのですから。


それから、私が自分の取材について、神経を尖らせる事についての説明を、これから詳しくしたいと思います。


ここ数日の私の日記、非常に怒り心頭に達していて、感情的に走っていた事を、正直に認めたいと思います。


まだ、ディレクターさんからは、一切謝罪はなく、また、そのご意思も全くお持ちでないと、昨日伺ったのですが、

私としては、当人よりも、上役の方が、誠実に対応して下さった事で、彼女自身の事も、これ以上何も責めるつもりはありません。


ただ、彼女にも、そして皆様にも分かって頂きたいのは、私がそこまで感情的になる理由です。



私は、元々何の力もない人間です。

生まれつき、酷い喘息持ちで、学校は休みがち。


小学校の頃は、喘息を治す為、千葉にある、養護学校にまで行っていました。


家庭的な環境問題から、中学を出て、高校へ行くと言う、普通の進路は取らず、専門学校に一年行き、そして社会に出ました。


所謂中卒です。


金も学歴もない、病弱な人間が、行き場のない犬猫を助け、北海道の田舎に、約一万五千坪の土地を持つまでに辿った道程は、とても人に言える様な、軽い苦労などではありませんでした。


苦労を重ねれば重ねる程、自分の苦労に対して、私の口は、どんどん重くなりました。


今では、まず、自分が子供達を背負って生きて来た日々を、人に話す事など、全くありません。


誰に聞かれても、何とかはぐらかします。


何故かと言えば、人に言えない苦労だったからです。


だから、何も知らない他人様に、興味本位で気安く尋ねられたくないのです。


どれほどの苦しみがあったか…。


聞かれる度に、あまりに重過ぎる過去が、私の胸の中で、暴れ回り始めるのです。


私は自分の経験を、今この日も含めた過去を、自分の子供達以外の、誰とも分かち合いたくはありません。


共に生き、共に苦しみ、共に踏ん張り抜いた、戦友のごとき家族である、子供達以外とは、絶対に共有出来ないのです。


本当に、奥深い真実は、私や子供達は、決して互いに触れ合う事なく、暗黙の了解として、黙して語らず、墓の下まで持って行きたいと考えているのです。

辛かったなんてものじゃない。
そんな易しい話じゃありませんでした。


今も昔も。


誰に、それが分かるでしょうか。


私の人生に通りすがった程度の人に?

いえ、私にとって無二の親友であったとしても、私や子供達が共に乗り越えて来た日々を、分かち合ってもらう事は出来ません。


私はこの前ディレクターに、朝食の場面を撮影されながら、「普段はカップラーメンを食べているのですか?」と聞かれました。


その食生活にまでなる経緯を、全く知りもしない相手から、ただ、興味本位でそれを聞かれるやるせなさ。


何も知らない相手なのに、何故、無責任な質問を出来るのか。


私は何故、人の興味に答える為に、自分の血肉をつつき回されているのか。


千葉にいた時の子供達の写真を持ち出され、何があったか詳しく話して下さいと言われて、それは嫌だと言いましたが、番組を作る上で、過去の経緯を説明する必要があると食い下がられ、話す事を余議なくされました。


撮影の後も、あれはカットして欲しいと何度も言いました。


しかし、近所のトラブルまで撮りたがる、相手と譲歩し合う為、仕方なしに、その場面を入れる事を承諾しました…。


でも、本音は、誰にも触れられたくありません。

何故私は、他人の無責任な興味に答えなければならないのでしょうか。


そんな辛い思いをしてまで、私がテレビ出演など、望んでいると、誰か思いますでしょうか?


誰に分かると言うのでしょう。


私がどれだけあの子達を愛しているか、その為に、どれだけの悲しみに耐えて来たのか。

零下30度の気温の中で、電気すらない家で、凍死と戦って生きる私の大変さが、誰か理解出来ますでしょうか?


子供が病気で亡くなり、悲しみで立つ力さえなくなったこの身で、しかし残る子供の食費を稼ぐ為、心身を休める事すら許されず、泣きながら仕事へ行き、結局仕事が出来なくてクビになり、

その重なる不幸の中、しかし更に倒れる事が許されず、翌日には自分を叱咤しながら仕事を探しに行く…。


誰に、ああした苦労や悲しみが分かってもらえるでしょう。


人間の子供を育てているだけなら、誰かが必ず助けてくれます。


私の子供は犬や猫の子です。

私が様々な外的要因で、生活する事さえままならない事になった時、人に言われる台詞は、「だったら保健所に連れて行きなさい。」です。


生活が出来なくなるなら、子供を殺せと普通に言われる。


自分の苦しみや悲しみや、辛さや苦労、疲れた体、病。

それらを全て隠して、毎日毎日、立っているんです。


本当は、子供達と毎日暮らして行けるのか、不安で押し潰されそうなのに、絶対にそんな気持ちは見せられない。

私が弱気の顔を見せるのは、子供達の中だけです。


あの子達とここまで歩いて来た日々と道程。

ただひたすら、あの子達への愛だけが、私の心と体を支え続けた。

そして、同じく愛する全てのアニマを、苦境から救うのだと言う目標が。


ディレクターから取材で、私にとって子供達とはどんな存在かと聞かれました。


何と言ったら伝わるだろう?

私は、子供達とは私の「世界」だと答えました。

あの子達は、私にとって空気であり、日光であり、水であり、食べ者と言う存在でもある。

山であり、谷であり、海である。

喜びであり、悲しみであり、希望であり、絶望であり、楽しみであり、憎しみでもある。

至上の存在。


私に、人生に於ける、全ての世界を与えてくれた。


それしか言えません。

あまりにも、色々な事があり過ぎた…。

だからこそ、その過去に最低限の敬意は払って頂きたい。


興味本位で、心の扉を叩かれるのは、耐えられないのです。


私は、今回の取材が、興味が先行したものになっていて、その姿勢に憤慨し、取材が終わった後も、話し合おうとしていたのに、


先方に避けられ続け、本当に憂慮しました。

私達の事を、どんな視点から放映するつもりか?

それを聞きたいのに、誰も電話に出てくれない。

ディレクターは、オンエアまでは連絡しませんと言っている。


これで、私達の生活を、もし批判的な視点から放映され、世間が私の子供に間違った同情をして、私からあの子達を取り上げようとする事態になったら?


守る為に、文字通り何でもして生き抜いて来たのに。


疲れた体に鞭打って、仕事を幾つもこなし、辛くても、泣く力を仕事に回して頑張って来たのに。


零下30度の気温に耐えて、子供を愛しているから頑張って来たのに。


自分で働いたお金の全てを、子供の為に使って来た。


自分の稼ぎで自由に、食べてり飲んだり、散財出来る友人を眺めながら、

着る物は、人が捨てるからあげるよと言われた服ばかり。


外に行くのは結構恥ずかしくて、これは中途半端だから、いっそ肥料袋に頭と腕を通す穴を開けて着るなら、返って踏ん切りつくよなぁ、なんて思いながら生きて来た。


お金より、物より服より、本より暖かい家より、おいしい食べ者より、子供が愛しいから必死に頑張って生きて来た。


それを、その苦労を、全く理解していない人間に、いい加減に報道され、これまで命を捨てて守って来た、全てを失う事になったら…。


それだけの、危惧があったのです。


だからこそ、恐ろしい位に感情的になっていました。

せめてその心境は、理解されたいと思っています。


もう一度言います。

私は自分の過去は、共に乗り越えて生きて来た、私の子供達としか、共有する事は出来ません。


どうか如何なる、興味本位による質問は、控えて欲しいですと。


苦労をした人間が、その苦労を黙して語らないのには、他人には想像も出来ない苦しみがあったからなのです。

その、人の痛みや苦しみを、取材の為なら全く意識しないと言うのなら、そのジャーナリストは人非人であり、私はその人からの取材は受けられません。


痛みを理解してくれる人を、人間と私は呼ぶでしょう。








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Last updated  2007.05.17 00:58:20



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