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倫理の進化

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若樹

若樹

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2007.04.14
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カテゴリ:正統日記
長年ボランティアをしている者として、誰かの支援者となる事は、本当に器のいる

事だと思っている。

支援に見返りは存在しない。

社会的名誉もなく、肩書きもない。報酬は与えられず、ただ己の懐から消えるのみ。

だからこそ、本気なのかが試される。

本当にその相手を救う為なら、自分が犠牲になっても厭わないのか?

自ら自分の人生を、他人の為の、黒子としてしまえるのか。


昨年10月、私の支援の呼び掛けが始まった時、私は何度も断った。

理由はその時、私はなんとか一人でやって行けるから、むしろ当時露見していた、

広島ドッグパークなどの、支援してあげて欲しいと、そう周りに勧めた。

しかし本当の理由は違った。


私は人の支援を受ければ、早晩こういう事態に至ると踏んでいた。

人の支援は難しい。

その器量のない人間が、恐れ多くもそれに手を出せば、必ず人間が出来ていないが故に、

揉め事を起こすものなのだ。

偽善が目的で、人を支援する者は、本当はボランティアの中に、相当数いるものだから。

彼らにとってボランティアとは、自分が社会的名誉に預かる為の道具でしかない。


少し前、私のブログにこんな書き込みがあった。

「支援の素人が、手を出して失敗したいいお手本」と、言うような。

どうもこの方は、私の元支援代表に向かって言っておられたようだった。

他にも、同じく支援には、器量がいると言う内容の書き込みがあった。

また、私書箱にも、収支報告について、

「支援とは、喜捨なのに、収支報告を求めるのは理解出来ない。」

そう書かれたメールを頂いた。

こうした人達と、私は全くの同意見だ。

だからこそ、支援を行うには、人としての器がいると思っている。



昨年の夏、アフガニスタンで医療活動を行っている、日本人医師が、現地の大旱魃を

受けて、日本人チームによる、大規模な井戸掘削の活動を行っている様子が、テレビで

報道されていた。

水不足の為、作物は取れず、栄養や衛生、健康と、アフガニスタン人達は危機的な状況

に晒されていた。

この状況を救おうと、この医師の呼び掛けによって、アフガニスタン各地で、日本人

ボランティアが中心となり、水を求めて井戸掘削が始まったのだ。


それに参加した、ボランティアの説明によると、活動は試練を極めていた。

最大の問題は、技術や費用よりもむしろ、支援を受ける、アフガニスタン人と、

支援活動を行う、日本人ボランティアのとの間にあった、双方の立場による、

心の隔たりの方にあった。



他人を支援する時、もっとも支援をする者が敬意を持って扱わねばならないのが、

支援を受ける相手の人格である。

他人の人格を尊重する事は、未熟な人間には難しい。

それが自分よりも、しっかりと生きている相手であれ、往々に人は他人への真の敬意を

忘れがちになるが、これが相手が、他人の助けが必要な、困窮した社会的弱者であれば、

未熟なタイプの人間は、相手を自分と対等な人間だ等とは、全く見なせないものだ。


普通の社会人より劣った存在として、その相手を扱おうとする。

その者にとって、支援が必要な人間とは、傲慢な親が見る所の「子供」に過ぎない。

守られ、養われなければ生きて行けない存在なのだから、人権や、意志等は

認められない。 

支援を行う者こそ、その対象の人生に於いて、絶対的な権限を持つ権利があるのだ。

彼らにとって、社会的弱者とは、生命の形を取った、「物」に等しい。


動物愛護団体の活動を見ていると、こうした人間が殆どと言って過言じゃない。

彼女らが(愛護団体は圧倒的に女性が多い)その真価を最大限に発揮するのが、

野良猫と対した時だ。


こうした人々は、「野良猫を救う為」と公言して、罠を仕掛け、捕らえて、相手に

断りなく、避妊や去勢の手術を施してしまう。

然る後、また元の場所に戻す。

理由は、野良猫を増えさせない為だ。生まれた子猫が、不幸な人生を持たぬ様にと。


しかし、避妊、去勢を受けた者は、野生の本能を失う。

それまでは、自力でねずみを捕らえたり、すずめを捕って狩を行い、生きて来た者が、

手術を境にその能力を奪われたまま、また野生に放たれる。

食べ物をくれる人間がいなければ、最早生きて行けない体にされてから。

元々、人間と距離を置く、警戒心の強い野良猫が、罠に捕まり、手術を受け、

ますます人間不信になった後、狩猟の本能さえ奪われて、その後どうやって生きて

行けば良いのか。

路地裏の隅や、人里離れた林に埋もれた、痩せこけた野良猫の亡骸は、真実誰が

作ったものか。

野生を好む者の人生から、狩の喜びと、生活の手段を奪ってしまった人間は。


彼女達はこれを善行だと考える。

そこには猫にー野良猫に、己と対等な存在として、敬意を示す姿勢が欠けている。

相手を、猫であるが故に、社会的弱者であるが故に、見下してしまっている自覚が無い。


対等の意識の確立なしに、正しい保護や、相手への協力は行い得ないものなのだ。



アフガニスタンでも、これと全く同じ問題が生まれた。

旱魃で困窮を極めた現地の人を、助ける力がある自分より、「劣った」人間だと

無意識に見なしたボランティア達は、彼らの風習、考え方、生き方に敬意を払わず、

返って支援される側に、うとまれる存在にしかならなかった。


その中で、自分の驕りに気がついた者は、強者、弱者に関係なく、誰もが自分の心を

持って、それを他人に奪われたくはないのだと悟った。


それが理解出来ない者は、アフガニスタンから帰国した。

支援されなければ、生きてさえ行けない癖に、自分の考えや、生き方を変えないとは、

アフガニスタン人こそ、傲慢で、愚かな恩知らずだと罵倒して。


断食の月、イスラム教徒は、普段以上に宗教的な生活に入る。

水さえ事欠く現状であれ、イスラム教徒として、戒律をまず重んじる。


それは彼らの美徳である。

図らずも、ムハンマドが袂を分けた、兄弟宗教の開祖が修行の折にこう残している。


「人間は、パンのみに生きるに非ず。」


彼らは、自分の命への執着の為に、自分の信仰を捨ててしまったりはしないのだ。

私にとって、「命とは何よりも尊い」と言う信仰が、水や食料より大切な様に、

彼らもまた、自分の信仰は、水より必要なもの。


その意思を理解しない日本人が、その精神を軽んじる。

断食月には、アフガニスタン人は、井戸作りに集中しなくなる。

こっちだって、時間の余裕も無いし、予算もある。

今は宗教所ではないだろうと・・・。

そして現地の人々と、心がどんどんすれ違って行ってしまう。


このボランティアの言い分はおかしい。

彼らは、そうした精神を持つ民族を、助けに行ったのだ。

なのにその精神を尊重しないのなら、誰が彼らに必要とされるのか。


人間としての器がないと、支援をすると志願した人間は、必ずこういう、相手の人格を

否定する揉め事を起こしてしまうのだ。


社会的弱者の目線を持つのは、己に対して、かなりの人道的苦行を課してこなければ

培えない。


人を助けたら、周囲から社会的名誉をもらえる等と、名誉の見返りを期しての、慈善など、

むしろその弱者によって、暴かれ、一蹴される。


そして彼らは自らの善意を踏みにじったと言って、相手を非難するのだ。


現地に残った日本人ボランティアは、こうした意識の違いを乗り越え、支援される側に

人間として、本物の敬意を抱き、結果、アフガニスタン人達の信頼を得た。


彼らは、アフガニスタン人達の人生の、舵取りを彼らの手から奪わなかった。

あくまでも、彼らの意思を尊重した上で、最大限の助力を尽くした。




私は今回の支援活動に、これと全く同じ問題を見ている。

残念な事に、「元支援代表」及びある支援者は、支援者としての器を持っていなかった。

きよめだかさんが、終わり近く、何度も自分のブログで書いていた。

「わたしは彼女の生き方まで、変えさせようとしていた。」と。


実際彼女は、その通りにしていた。

私が拒否していた支援を、無理に説得したり、断りなく口座まで開いて、始めてしまって

いたと言うのにも関わらず、

私は人の支援なしには生きていけないのだから、自分やみんなの言う通りにしてと、

執拗に迫った。


私は仕事を持ち、一応自立している人間だ。

自分と子供達の食い扶持も、自分で何とか稼いでいる。

なのに何故、支援なしにやって行けないとまで、他人に断定されてしまうのだろうか。


余りにしつこく言われ、ノイローゼになりかけて、私は彼女に、私を奴隷にしないでくれ

と、メールを打った。

彼女はそれを、他の人間達に、私にそこまで言わせた説明を省いて転送した。


それを読んで、ある人は私が恩知らずだと勘違いして、またある人は、こう言った。

きよめだかさんは、ここまで若樹さんに言わせる程、彼女を追い詰めていたのかと。

またさらに、ある人はこう言った。

私達の支援を、他ならぬ支援代表が、最もあなたの意思を軽視した為に無茶苦茶にしたと。


こうした私ときよめだかさんのやり取りは、実は彼女が支援代表を降りたいと言って、

騒動になった後で出てきたものだ。


私は他の人と同じく、彼女がブログで見せた印象から、彼女は優しい人格者と、

信じ込んでしまっていた。


彼女の本当の性格に気付くのが遅れ、ブログを用いて私の活動を滅茶苦茶にされた。

それだけでは飽き足らず、彼女の味方の力を借りて、私の個人情報を、ネットで

垂れ流し、警察の風上にも置けないわが町の警察が、赤の他人にどんどん情報を与え、

それをまたコメントとして掲載し、ネットで全国に流してくれた。

その上彼女は、私の子供達を、全員行政に奪わせようとしていた。

埼玉県春日部市から、数本の電話で、相手から人生の全てを奪い尽くそうとしていた。

むしろ役場のある人こそが、あんな連中を相手にする事はない、我々みたく、あんたの

苦労や努力を、何一つ知らない連中だと言って、私を励ました。

ブログで彼女は、私は頭痛持ちの人間だから、ナロンエースでも送りたいと書いていて、

私に送っていたのは、自分の悪事をばらすなと言う、脅迫メールだった。


彼女から、支援代表を降りたいと相談を受けていた人は、彼女の意見を聞いて

驚いたと言う。

こんなにも、見返りを当然のものとする人間だったのかと。


私は支援活動を、あの時何度も断った。

それは、メールや電話のやり取りさえ無い相手の誰に、支援の器の無い人がいるか

分からなかったからだ。

なのに、彼女こそが、その最たる人であったとは。



彼女の外用の性格を、信じ、称え、私は彼女が大好きだった。

自分もあれ位鷹揚に、優しくなれればと思っていた。


何故気が付かなかったのか。

彼女が昔受けてしまった暴力。

自分の親友と彼氏からの、異常な暴力。

友人から、そこまで、憎まれ、恨みを買ってしまう性格であった事に。

そしてそれに、決して懲りる事のなかった人だと言う事を。


私は彼女を憐れに思ってしまう。

彼女はブログを閉める直前、私の私書箱にメールを入れた。

その内容は、自分の友達に、罪を被せるものだった。言い訳だらけの告白、

そして私と、仲直りしたいと書いていた。

きっとやり過ぎて孤独になったのだ。


そんな事では、自分が傷つけた罪は償えないし、誰からも信頼はされないんだよ、と、

私は彼女に言ってあげたかった。

他に何が出来るだろう。


私は彼女に利用された、女性を大事な友人だと思っている。

あなたが彼女に全て告白して、彼女に謝罪をしないうちは、私はあなたの申し出を、

決して受ける事は出来ない。


ごめんね、きよめだかさん。


















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Last updated  2007.04.14 11:49:00



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