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カテゴリ:若旦那の日記
前駆陣痛というのだろうか、1週間前から若女将のお腹は鈍い腰の痛みが続いていた。2番目の子だからお産が早いよと言われながら、正月からまだかまだかと待ちわびていた。
1月末には逆子と判明。逆子体操を数日繰り返してもなおならい。一日入院をし、お腹を外から回す。これがまた痛いらしい。青あざができるほど強く回すそうだ。エコーで見てみると、「わたしは、この体勢がいいの!!」と言わんばかりに、珍しく両手両足を大の字に広げていたそうだ。結局なおらず、帝王切開の日を決められる。 産まれる前から誕生日が決められるのも何か味気ないが、実はまだ名前が決まってない。ということで、誕生日までに名前を考えなくては!! 急いでユン坊が生まれた後、2年間は開いたことがない命名事典を取り出し、字画と奮闘。実はユン坊が産まれた時点で、第2子、第3子(産むかどうかはわからないが・・・)までの名前が決まっていた。 しかし字画的には男に適した名前で、産まれてくるであろう女の子に相応しくないようだ。三日三晩徹夜を繰り返し、20以上の候補から最終的に決まった名前は、娟華(ヨナ)。(娟)美しい(華)女の子になれという想いからつけた名前だ。 さて、誕生日になるであろう前日、入院をする為に病院に向かった。今日も最後の望みにかけて逆子体操をするらしい。先生の診察があるのでご主人様は外に出てくださいとのお達し。外にでるとしばらくして、看護婦さんから呼ばれた。興奮気味に、「お腹のあかちゃん、戻ってますよ!」逆子は危機一髪のところで戻っていたのだ。 そんな紆余曲折を乗り越えようやく陣痛がやってきた。今回も立会い出産の予定だが、昼間に陣痛が来ても仕事で立ち会うことができないから、といった願いが通じたのか、夕方6時半に若女将から電話が掛かってきた。 急いで家に着いたのが7時。若女将は風呂に入ると言ったが、陣痛の間隔が10分なので短すぎる。いそいで身支度をすまし病院に着いたのが8時。間隔が5分から3分、そして間隔がなくなり分娩室に入ったのが9時ジャスト。 いくら立会い出産2度目とはいえ、こればっかりは緊張する。看護婦さんがこれとこれを身に付け下さい、というのでキャップとエプロンとゴム手袋をしながら分娩室に入ると、「お父さん、手袋はいいです。」と半笑い気味に言われた。後で考えるといかにもオペをする先生のようないでたちだったのだろう。 分娩室に入ってからが長丁場と考えていた。看護婦さんはすぐに産まれますよ、気休め風にいったのだが・・・ 準備が整い波が押し寄せた。長~~く意気込むので、こっちの頭の血管が切れそうになる。こんなんでフラフラになっていたら長丁場、持つわけがない。ちょっと気を抜き深呼吸。 2回目の波が押し寄せた。う~~~~~~~ん・・・ アタマ、 アタマガ、ミエテキマシタヨ!! アタマガ、 頭!! その瞬間、娟華(ヨナ)がこの世に誕生した。分娩室に入って11分間の出来事だった。産まれた瞬間の私の第1声は、『ユンやん!!』と、長男であるユニにそっくりな事を口ずさんでいた。 何はともあれ、逆子がなおり自然分娩で無事産まれてきてくれたのを素直に喜ぶとともに、これから妻と子供2人を育ててゆくであろう責任を強く感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月16日 14時00分43秒
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