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玲児の近況

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2007.08.16
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テーマ:東洋古美術(358)
カテゴリ:カテゴリ未分類
京都国立博物館が2006年に購入した。文人画粋篇で 初期作の最高傑作としてリチャード=エドワーズが激賞していたので、新収品展にいって、鑑賞したことがある。
 購入価格は、3200万。まあ、文化庁・政府調達のものは重要美術品や重文が多いから1000万台ぐらいが多い。複数まとめて1000万というようなのもあるし、役所の慣習や都合があるのかもしれない。この画冊も重要美術品である。
 案の定一面しか出していなかったが、確かに古く、特異な様式である。文徴明一派が流布させた呉派の細密な山水人物画の原型をみるような気がする。
 右半の水田は田の区切り方が不規則であり、写生をもとにしているようにみえる。明末の定型的な長方形に区切った田の描写とは大きく違っている。その畦の上を農民が歩いている。左半の集落には子供、婦人、下男、犬などもいるし、これはお約束の描写方法なのだが、意味もなくいるようには見えない。また、樹木の描写もそれほど定型的ではない。
  土が田へ続く崖をつくっているところにある小さな枯木は実にデリケートである。
 紙はいわゆる宋羅紋箋のような微灰色白紙で、好き目がめだち柔らかい。彩色も美しいが、かなり薄くなっているような感じがある。左端に近くすこし縦に細い楕円形に剥落しているところ以外はだいたい完全に残っている。
 展示していた画とは別の画に杜菫の成化七年の題があるそうで、少なくとも沈周四五歳以前の作品である。
 隣に展示してあった陸治扇面二点よりずっとみどころがある。たぶんこの二点はだめだろう。
 このような様式を文徴明が受け継いだのだろうが、本人の沈周は40代ごろから細密な絵はやめて粗放な様式へ傾いたらしい。

・九段錦のような細密な様式の源泉はなにか?
 これは状況証拠でしかないが、王蒙が開発した様式を発展させたものだろう。王蒙画のエキセントリックなところを除きおとなしい部分だけとると九段錦になるように思う。また沈周は王蒙の「廬山図」大幅を精密に模写しているから、王蒙の絵画をよく知っていたことは疑いない。
・沈周が粗放に傾いたのはなぜか?
 これは想像でしかないが、視力が一時落ちたのではないか?沈周の書には文徴明と違って細楷があまりないことも状況証拠になる。
 高士奇が記載したときは九枚あって董其昌の跋があった。乾隆 梁詩正が購入したときすでに六図に減り、董跋もなくなっていた。今は三図になっている。20世紀以降の所蔵者は蒋穀孫(密韻楼)、奈良の林氏。
 イメージは、戦前発行の大東美術のモノクロ図版からとった。





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最終更新日  2007.08.16 08:26:20
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