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不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

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2010/05/04
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カテゴリ:日本旅行記
◇蒲原駅まで歩き新蒲原駅が下車しました。
駅前の案内看板に浄瑠璃姫の碑がかかれてあったので訪れました。
浄瑠璃姫に関する伝説は、いくつかあります。
恋い慕う義経を追ってきた三河国矢作の宿の浄瑠璃姫が吹上ノ浜で疲れ果てて死んだという内容の話が描かれています。
また小野於通の「浄瑠璃姫十二段草子」には、里人によって吹上ノ浜に追われた瀕死の義経が浄瑠璃姫の涙の雫でよみがえるという筋書きになっています。
義経と浄瑠璃姫の恋物語を語り物として「浄瑠璃」が江戸時代に流行しました。
吹き上がの六本松は、浄瑠璃姫を葬った塚の上に、目印として植えられたといわれています。
その後、大きな木に成長し、東海道を渡る旅人の目印になってきたことが「東海道所図会」ににも示されています。
また武田方の戦記「甲陽軍艦」には、1559年12月、蒲原城が武田氏に落城させられたときに、この六本松あたりに本陣を置き、勝どきをあげたことが記されています。


駅から近いのかと思えば、意外と遠かったです。
大きな工場沿いを歩いていき交差点近くにありました。
何代目かの松が目印かな?
最近整備されたみたいで綺麗にはなっていました。
浜近くだった感じは、今ではまったくありませんでした(笑)。
義経の事を書いていますが、逃げている時の話なのかな?
逃げている時は、日本海側の方だったはずですが・・・。
細かい説明は書かれていませんでした。
東1e浄瑠璃姫の墓

「義経硯水」に行こうとしましたが、道を間違えて近道をしてしまいいけませんでした。
中途半端な地図なので、場所が見つかるかすらわからないからこんな物ですね(笑)。

歩いていると北条新三郎の碑があるので訪れました。
1569年12月6日、蒲原城は武田軍の攻撃にあい、落城しました。
城主・北条新三郎は、城から抜け出し常楽寺まで逃れましたが、寺に火をつけ自害したと伝えられています。
その後、供養の為に、ここに碑をつくりました。

道沿いから50mぐらい登った所にありました。
薄暗い中に碑がありました。
城主というだけはわかりましたが、それ以外はわからなかったです。
北条と付いているから北条一族なのかな?
「蒲原城跡」には訪れませんでした。

東海旅行-1-東海道周辺で訪れた所!


東海旅行1は、まだ続きますスマイル





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Last updated  2010/05/04 07:58:30 PM
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