|
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日のサンアイのMLの投稿の
背景とどんちゃん★との対話に つまらない相槌をうってみた。(笑) _____________________ 内から感じたことを、 表で形にしようとすることは愚かなことだ。 (そうか。) 表の形にしようとせず、 その感覚のままでいればいい。 何もすることは無い。何も考えることは無い。 (そうなんやな。) 自然に任せるのだ。 何もかも、自然の成り行きに任せるのだ。 それが、内の想いを、表の形にすることなのだ。 (そうなんやろな。) ▲内の基本方針には異議はありません。 ▲でも、それを促進しようとすることは悪いことですか? 内の想いを受けて、そこから意図的に動くと、 内の想いは大きく歪んでしまうのだ。 そして、動く度に、内の真実から離れるのだ。 (ふーん。) ▲相手が、自分の内の真実を表で意識できない以上、 ▲その表に対して、お互いの内の基本方針からのものを、 ▲「表の工夫」 として、それを伝えてはいけないのですか? 「内の真実を表で感じていない」 そういうことは無い。 (そうなんや!) 内の真実に沿ったつもりの、表の不適当な工夫は、 ますます、表を狂わすことになる。 それは、伝える側も、伝えられる側でも同じなのだ。 ▲しかし、相手の表が、内の真実に気がつかないでいたと ▲同じ結果となれば、内の真実は伝わらなかったことに ▲なります。 必ず、内の真実に沿った結果となる。 (すべてはそうなんかもなあ。) ただし、表での感覚として、 それが内の真実に沿った結果だと、 そう認識できる迄には時間が必要なのだ。 (なるほど。) ▲しかし、その時が到来する迄、混乱が続くことになります。 ▲そうなれば、その混乱期間は、 ▲内から離れたものとなってしまいます。 内の真実を、表で、いつ認識できるかは問題ではない。 (へえ~、そうなんやろな。) ▲表で認識できるまでの苦悩を、表の工夫でもって ▲軽く短くしようとすることは間違いなのですか? 苦悩は必要なものだ。 また、苦悩の時間も必要なものなのだ。 (おお、おもしろいね。) ▲その苦悩が、表の世界の肉体の死によって、 ▲苦悩が軽減されないまま固着してしまったら、 ▲それは、とっても不親切なことではないのですか? そういう表の親切心が、更に苦悩を大きくしてしまうのだ。 そして、苦悩の期間も長引かせてしまうことにもなる。 (ふむふむ。) ▲すると、やはり、何もしないでいるしかありませんが、 ▲それが、表の世界での 「表の工夫」 なんでしょうか? 表の工夫は、決して意図的であってはならない。 自然に動かされて行く過程で、 表の工夫と感じることが、本当の 「表の工夫」 なのだ。 (ふーん。) ▲表の工夫は、画策しないで自然に任せているときに、 ▲表の工夫という感覚として、自然のうちに、 ▲内に沿ったことをしている。ということなんですね。 内の真実は、表に形として現れるまでの間、 真実は、いつも表に、その時々に応じた形で 確実に伝えられている。 (それはうれしいね。) それは、表では気がつかないように見えるが、 誰もが感じているのだ。 (そういうもんなんやろな。) ▲表の世界では時間が限られています。 ▲その時間内に、真実を受け入れるための工夫を ▲どんな場合であっても、表の世界で生きる人間が ▲それを、してはいけないのですね。 「表で生きる」 そういう妄想が、そのような愚かな思想を生み出した。 (ほお。) 人は、表で生きるのではない。 表で生きるように見えてはいても、 人は誰でも、内だけで生きているのだ。 (すべてはひとつなんかもな。) ▲意図的な表の工夫は、 ▲欲望からの 「偽の表の工夫」 なんですね。 そのとおり。 欲望は、怒りと焦りと苦悩を招くのだ。 内の真実に沿うときは、それは何も起こらない。 (ここ、ちょっと納得。) ▲はい。納得できました。 (あは。) ______________________________ ちょっと想ったこと。 大きく見れば、 何かをすることも 自然の成り行きになるのかもなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.03.01 18:55:03
|