わたしのブログ by ドレミ・どれみ

2013/10/15(火)00:25

「原発なくせ」の4万人の声、日比谷で、国会周辺で!!!

 昨日の10.13NO NUKES DAYの報告です。 いつも一緒に出かけるNさんに連絡。11時市川駅集合とのこと。NさんとMさんと一緒に出かけました。後の人はそれぞれもっと早いのか遅いのか、知っている人は見かけませんでした。 一路新橋から日比谷公会堂へ。ここでは集会の幕開けとして福島からの報告と大江健三郎さん、肥田舜太郎さんの講演がありました。 先着2000名。整理券を渡され、1117番。券を受け取るにも長蛇の列だったので、入れることにひと安心しました。 12時会場。50名ずつ、静かに階段を上っていきました。整理にあたった係りの方本当にご苦労様です。混乱に陥らないように声を枯らして少しずつ入場させていました。 12時半には席に着くことができましたが、まもなく整理券は2000枚捌き切れ、2000人以上が場外のスピーカーで講演を聞いていたそうです。 1時開会。まず首都圏反原発連合代表のミサオ・レッドウッドさんのあいさつ。 「6月のNO NUKES DAY統一行動では、さようなら原発1000万人アクションと原発をなくす全国連絡会が別々の会場、別々のデモコースを取って首都圏反原発連合の国会周辺集会に合流する形をとったが、その後の会議で、今、様々な違った考えの人たちが緩やかな統一行動をとることが大事と一致し、今日の集会、デモを同じ場所で行うことに決定した。今は原発0。再稼働を一切させないという意思を可視化して反対していきましょう」 原発をなくす全国連合会の弁護士篠原義仁さんのあいさつ。 「汚染水漏れ、高濃度の放射線検出。原発事故は全く収集していない。無責任な収束宣言は撤回せよ。安倍首相の国際的責任は重大であるにもかかわらず、6基の原発の再稼働を申請している。再稼働は絶対許されない。外国に輸出するな。国と加害企業は損害賠償をしっかりやってほしい」 福島県塙町に住む和田央子さんの報告。 「住んでいる塙町に隣接する鮫川村に突然廃棄物焼却施設が建設された。焼却すれば放射能は濃縮され、高濃度の放射能が、飛び散り、広範囲に放射能の被害をもたらす。99%遮断するフィルターをつけているから大丈夫というが、住民には測定させない。非常に不安である。ここは福島では汚染の少ないところ(茨木県都の境)だが、福島から出た瓦礫は福島で処理せよ、という。これを実験モデルにし、施設の設置を他の市町村にも迫っている。今ここでは爆発事故が起き中止になっているが、再稼働を狙っている。どうか一緒に反対の声を上げて欲しい」 内科医の飛田瞬太郎さんの講演 「初めて核兵器を使われた広島で被爆者の治療に当たった。私の診た被爆者の患者さんはほとんど亡くなった。当時それは放射線の被害であったことを知る人はほとんどいなかった。アメリカは放射線の体内被曝は大したことはないと発表。日本の医師に対して、治療の結果を発表することも研究することも禁じた。アメリカが口封じをしたこともほとんどの人は知らない。 「ABCC(原爆障害研究所)をアメリカが設立したが、日本の医師の監視役だった。私も国立病院をクビにされた。こうしてアメリカに口封じをされたため、治療法がわからないまま68年も過ぎた。治療法がわかっていたら、今福島で起こっている被害ももっと正しく治療できたでしょう。 「まだ原爆症で亡くなる方が絶えないのに福島の事故が起きた。今は北海道から九州まで放射線の被害を受けているのに、治す医師がいない。 「福島やその他の原発の火を止めて次世代に引き継ぐのが我々今生きている人の責任である。 「同時に米の核兵器は全部持ち帰ってもらいたい。米軍基地をなくしたい。 「ロシアはチェルノブイリの被害を受けた地域の人口の7割が何らかの病人であると表発。今、日本人全体が被爆者であるが、中でも福島の子どもの将来が気にかかる。福島の人たちの苦しみをみんなのものとして、原発を無くし、放射線の被害をなくしていこう。行動を起こしていこう」 ABCCーウィキペディア 作家の大江健三郎さんの講演 「肥田先生の話に非常に感銘した。作家なのになぜこのような原発反対の行動をするのかと良く聞かれるが、福島原発は自然と人間の汚染だからだ。 「本質的な問題であり、現実的な問題、具体的な問題としてここにある。ここ6ヶ月の間に政府は再稼働を推し進めようとしているが、押し返さなければならない。  「ミラン・クンデラは『自分たちにとって明日の環境を子供たちが生きていけるようにするのが使命である』と言っているが、それをできなくしているのは原発だ。 「原発に対する現実的な運動が必要。再稼働の動きを押し返しましょう」よく写らないで申し訳ございません。 鎌田慧さんが閉会のあいさつをしました。 「国連は作業員の被曝量が東電発表より2割多かったと発表。線量計を外している労働者がこれからどうなるか。福島の子どもたちの将来も心配。 「『ウソとカネとオドシ』で原発は作られ、事故の後も全く同じ手口。嘘を続けながらまだ動かしている。 「嘘を言うのを私たちは許している、私たちの力がまだまだ足りないからだ。 「再稼働を住民たちと反対の議員たちと連携して止めなければならない。 「さようなら原発1000万署名は今800万だが、1000万にしていく。 「来年3月は3周年。福島から東京へ、大行進をしようと計画している。田中正造が足尾銅山の鉱毒事件を食い止めたように、大押しだし(大行進)をやるのだ。 「原発をなくしていく歴史的な時代を作っていく、生きがいのある運動にしていきたい。 「運動は広がっている。小泉の動きがそうだ。敵も分裂している。 「大衆運動を広げ、あらゆるところで、原発のことを語り、子供にも語り続けていこう。 「絶対原発をなくしていきましょう」 最後にドラム隊のドラムに合わせて、「原発なくそう」「再稼働反対」のシュプレヒコールで会を閉じました。 場外へ出ると大勢の人達が会場を取り巻いていました。「市川民商」の旗が見え、そこに合流して、Nさんが持ってきた、ゼッケンを銘々に渡しました。新婦人の人達もいました。 すぐ出口に行けばよかったのですが、市川の人達と行動を共にしたので、そこで、待つことになり、それが待てども待てども出発にならず、時計の針は5時10分前。足は棒になり、Nさんが帰ろうか、と声をかけてくれて、一緒に来た3人で、引き返すことにしました。 公園の中でもシュプレヒコールをしていましたが、早く外へ出て、デモをしたく、みんなイライラしてきました。日比谷通りは休みでも交通量が多く、5人くらいの隊列で、少しずつ出発し、車も同時に動いているので、なかなか出発になりませんでした。 講演は集中して聞けて良かったのですが、もっと広い会場で集会を行い、デモは数箇所に分かれて、出発したほうがよかったのではないかと、今後の課題も残しました。これはNさんが作ってきたうちわです。これと同じデザインのゼッケンをつけました。ダンボールの紙に貼り付けたものを首から吊るしました。デモの出発を待っている人たち  デモ隊には福島から、埼玉から、神奈川からのぼり旗を立て大勢参加していました。これから、東電前、経済産業省前を通って公園に戻り、17時から19時まで、国会周辺で、集会を開きました。 私たちが帰ったあとも長蛇の列が並んでおり、デモの出発がいつになったのか見当もつきません。 参加人数は4万人とのこと(主催者発表)でした。 本当に疲れ夕べはブログを書く元気もなかったのですが、良い講演をたくさん伺い、同じ考えの人たち大勢に出会い、本当に感動した一日でした。 原発が一日も早く止まることを願ってやみません。 

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