2014/05/13(火)00:41
映画は原作よりスッキリーー『魔法の声(インクハート)』つづき
原作を読み終えた後、この作品が2008年に映画化されていることを知りました。日本では公開されなかったそうですが、DVDで観ることができます(「インクハート~魔法の声」)。
で、安価だったので入手して映画版も楽しむことができました。
原作では、登場人物にもストーリー展開にも、はっきりつかみにくい部分がありました--たとえば、「ホコリ指」と呼ばれる登場人物の扱い。ちがう世界にきたゆえにか、善悪あわせもつ微妙な存在で独特の違和感やもの悲しさを醸し出しています。彼の中途半端な立ち回りは結局、彼自身の身にはね返るようで、最後に起こるファンタジー的大団円から疎外され、(少年ファリッドという連れはできるものの)寂しく立ち去っていきます。最後まで煮え切らない感じだけれど、勧善懲悪で片づけきれない、味わい深いキャラクターと言えるでしょう。
また、ストーリーでは、物語に出てくる人やモノが朗読によって現実世界に出現するとき、その代償のように現実世界のメギーの母や作者フェノグリオなどが物語世界にワープしてしまいます。だれ(何)が代償に選ばれるのか、なぜ選ばれるのか、納得できる説明がありません。「魔法舌」と呼ばれる朗読能力を持つモルティマ(モー)は、その力をコントロールできない、と自分で言っています。
後半で登場する「インクハート」の作者フェノグリオにも、登場人物の現実化についてはコントロールできないようです。つまり物語をつづることはできても、朗読で呼び出すことはできない。それどころか、原作の最後では、メギーとモーが最強の「影」を呼び出した代償に、自分が物語の中へ飛ばされてしまった様子です:
フェノグリオはどこだろう。物語の世界は気に入っただろうか。きっと、孫がいなくて寂しいだろう。
--フンケ作『魔法の声』浅見昇吾訳
このような作者ですが、結局、「影」が悪役カプリコーンをやっつけるよう物語を書き直して、みごとに主人公たちを救います。すばらしい場面ですが、やはり疑問が少々残ります。
それまでのストーリーでは、朗読で呼び出された者は、もとの物語での外見や性質を持っているものの、もはやもとの話の筋に関係なく勝手に動き回るのです。それなのに、クライマックス・シーンだけ、作者の書き直しに従って「影」が現実世界へ現れてから行動を変えたり、影の犠牲者が復活したり、さらに現実世界にまで「平和が訪れた」のは、なぜなんでしょう。
映画では、これらのあいまいな点がわかりやすく改善?されています(わかりやすいから良いかどうかは、また別問題ですが)。
ホコリ指は、演技力も雰囲気もある俳優さん(ポール・ベタニー)によって、影のある繊細な、非常にカッコイイ人物に大変身。主人公たちを原作ほどは裏切らず見捨てず、モーの妻への横恋慕や彼女をあきらめる薄暗さもなくなって、かわりに、もとの世界に恋人がいて、彼の行動には、彼女のもとへ帰りたいという一途な動機付けがなされています。また、作者に作られたキャラクターから脱して、自分で未来を切り開く決意を述べるところもあり、その結果、結末も原作とは異なって、めでたしめでたしです(原作の味わい深さはなくなりましたが)。
作者フェノグリオも、現実に未練がなく物語世界に行ってしまいたい願望を持っていたという設定になっています。そして、映画では主人公メギーの朗読能力だけでなく、作家としての創作能力がぐっと強調され、彼女のパワーで最後の場面に奇跡が起きるような仕上がりになっています。フェノグリオではなく、彼女が即興で自分の腕につづり、同時に読み上げていった物語こそが、世界に平和をもたらしました。なるほど!
映画ではほかに、メギーの叔母エリノアが後半ぶっとんだ大活躍を見せて注目でした。原作は原作で楽しいキャラクターですが、映画らしい派手さが出ていて良かったです。ぎゃくに、主人公メギーが映画では普通の良い子になっていて、個性的な脇役に負けていたような感じ。悪役のカプリコーンやバスタなども、原作の方が怖いです。映画だとかなりコミカル。カプリコーン役の俳優さん、どこかで見たと思ったら、「ロード・オブ・ザ・リング」のスメアゴル/ゴラム役の人(アンディ・サーキス)でした。
ファミリー向けの映画にすると、こういう原作がこういうふうになるんだなあ、と思える映画でした。