カテゴリ:PTA
PTA会長
こんなものやりたがるなんて変わり者かもしれない。 普通なかなかやり手のないもの・・・けれど・・・ 私が副会長になったのは16年度です。 廃校合併でゆれる年でした。 最初に本部役員&企画委員メンバーだったのは、前年度推薦からの居残り組み3名を含むメンバー。PTA役員の仕事のあまりの重さに次々とリタイヤしそうになっていった。 この時期は副会長二人制度だったので、2学期で一人がほぼリタイヤ状態になりまだ動ける企画メンバーを含めて合併の話し合いに臨み、合併用の人材を外に求め、両校のとりまとめをした。 17年度はその廃校合併の話し合いの中心メンバー役員になった形でした。 仕事も多かったけれど子どもたちのためにとみんなよくがんばりました。教頭先生がとってもよかったのがそれを支えたのだと思います。 18年度はほぼ同じメンバーでしたが途中会長が抜けて私が代行という形になりました。 しかしこのときはさらに別のメンバーも引っ越したりとバランスが崩れ、前年度と同じメンバーにもかかわらず運営がきついものとなりました。 さらに19年度へ向けて役員選考で残留したかった私以外の役員(私が声を掛けないとやらないと出来ないといわれた)にたいし、私は声を掛けない(それぞれで推薦委員にやらせていただきますといってほしいといった)と意地になってしまい。3学期は泥沼の状態に。 また会長選考もそのまま私が会長にというPTA側に対し校長は男性会長でないと認めないとの返事。適任者もなくそのまま平行線。校長が前年度会長を呼び戻すという決着になった。 だから、私の会長就任は3年越しのものです。 地域とのバランス、学校との関係、PTA組織としての運営上の問題などなど、考慮しなければいけないものがたくさんありました。 一番の問題は自治会長が認めるか否か? 学校長が認めるか否か? というPTA組織外からの圧力です。 また、私が自分の中の私がやらなければと言う想いを捨てることこそが会長への難関だったのかもしれません。 これは相反するようなことですが、会長をするからこそ、自分がやるのではなく、みんなに支えてもらってさせていただく、今ここに自分が有ることに感謝をして、周りを立て、他の役員に頼れることは頼る、信頼するということだったのかもしれません。 まるで禅問答のようです。 ですが覚悟は決めないと組織の長として、出来ないこともあるという位置です。 たかがPTA会長ですが、されど会長です。 NO.1とNO.2の差は大きいです。 周りの人に感謝の気持ちをこめて勤めていきたいと思います。m(__)m 自分のどれほどの力があるのか? みんなの思いを受け止められるのか? 勉強していきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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