愚鈍でも、利発でも、どちらでも怒られる環境
私が物事の処理が速いと、あっさりしてると、迷わないと、堂々としていると、落ち着いていると、それを見た私の親の精神がぐらぐらと、不安定になりました。劣等感が揺さぶられた親が、私に向かって怒りをぶちまけるのでした。できたのに、怒られる! 96点のテストなら、4点足りないのだと、不機嫌になる! もっと頑張れと! フン!と顔を背ける。そんなことで誉められたいなんて間違っているのだと、きつく咎められる。実際はこんなにわかりやすいことばかりではなかったのですが。申し訳ないと罪悪感を持たせて償わせる陰謀は、GHQや日教組と同じで とても巧妙でしたから・・・なので、できないと怒られるほうがまだましだったのです。できないなら叱られて当然だから。叱られるのが嫌なのではなく、納得がいかないことで怒鳴られ続けて貶され続けたのです。できてるのに、「できてない、なんでできない?」と叱られるのは、子供心に、明らかにできたことを否認しなければならない。教えられずに自分で頑張って仕上げたまでの作業も記憶も、現実も、全部、ないものとして、捨てなければならなかった。自分の脳を、記憶を目を手を脚を、感覚を五感を全部親に合わせてないものを見て、見えるものをないものにしなければならなかった。親はそこまで私を支配してはじめて、自分を保つことができたのです。さらに私を切り裂いたことは、そういう状況で、誰も私のことを信じてくれなかったこと、親は世間体を繕うのが上手だったから優しいお母さんだねとみなコロッと騙されたこと・・・・。父親が家庭を妻子を守る気がなかったこと・・・・。子供の立場で、頼れるのが一人しかいなくて、その人が、衣食住を与えてくれて、虐待も加えてくる。敵と味方が、別々なら人は心を簡単に病まないと思う。攻撃されるのに、面倒も見てもらえる。面倒を見てもらいながら、冷たい言葉に、目の前が真っ暗になる。自分は完全に無力。話を信じてくれる人はいない。助けてくれる人はいない。逆らえば捨てると脅される。こんな状況で、どうして健康でいられますか? 安心していられますか? そうやって育てられてどうして競争に勝てますか?社会対応や適応は難しいです。親が死んだら死んだで、接触しているときだけの悩みが、こんどは乗りうつったように・・・いえ、30年以上も生まれてからずっとそのように「しつけ」られたわけですから、パーマネント、パーラメント(煙草)じゃありませんよ?(;^_^Aほとんど永遠に近い年月です・・・・でも、人生をあきらめるわけにはいかないのです。しかし私はこうしてみると、神経症になるべくしてなったんだと。社会への適応も○ソもあったもんじゃないですね。(;^_^A