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体調はほぼよくなっておりませんが
予告した書きたいハナシ書いちゃおうと思います、今日は時間あるし とはいってもワタシが書きたいだけで読んで面白いかは別っすけど 数日前、自分ルールにしてる、月初めに実家にを実行した際 母親から聞いたハナシなんですが・・・ まぁ日常のこととしては両親とも特に変わりはなく、 寒くなってきたし雪も積もってきたから運転が心配だよ、とかいうくらいですが、 昨日、Tが奥さんと訪ねてきたんだよ、という話題になり Tは母の従兄弟です、この先、沢山の親類縁者が登場しますが 総て母からの続柄で書きますワタシからのだとすげぇめんどいので 数日前、新得で亡くなった叔父の四十九日法要があったので 母は招かれたものの行けないと断ったと、代わりにTが旭川在住なこともあり お供えなどをたのんだこと、Tがその報告に来てくれた、とのことだったのだが お墓だか納骨堂だか忘れたケド、納骨するときになにやら 知らないひとのお骨が出てきた、というこだったのです 亡くなった叔父は母方なので、たぶん長男になる方だとワタシは思うのだが 姉コレが母、でワタシの祖母、も妹たちも亡くなってしまっているし、唯一残っている弟も 現在は施設におり、そのことについて確認することは不可能な状態 なので、いとこの中で最年長であるワタシの母が何か知らないか、と その場にいた、いとこたちのなかで結論づけたらしいのですが・・・ 私が一番年上だからって、わかるわけないっしょねーえと母は叫びちらしておりました でも母の話によると、叔母の中に若くして結核を患っていた T子という方がいて、その方が姪っ子である母が生まれたときすごく喜んで k子これがワタシの母です、に会いたい会いたい言ってたんだけど 当時、結核は隔離された病気だったし、ましてそんなコドモになんか会わせて貰えるはずもなく 仕方なく療養所の窓越しに見せに行った、というハナシをされたことがある、と言うのです その方は、母の記憶には残ってなくその後亡くなられたようなので じゃその方のお骨なのではと思うのだが、なんと、名前が違った、と あまりに古くて没年などもわからなかった読めなかった、と、でも名前はS、だったと それに母は戦前は樺太にいて、親族は終戦後は着のみ着のままで引き上げてきた、といい 今回亡くなった叔父も、それ以前に亡くなっていたT子という叔母の、 お骨なんか持ってこれなかったと思う、と言うのです、ロシアは敗戦国に対して冷たかったと まぁーいきさつは何となくわかったけど、じゃーその誰のかわかんないお骨はどうするのか 訊ねたら、たぶんお祓いとかして出しちゃうんじゃないか、とのこと、 もう母の実家のことでもないしね、口出すことでもないから とはいえあまーりキモチのいいことでもないので、良きに計らってほしいです あと母から聞いたハナシが意外にノスタルジックでいいカンジに残りました 母も記憶にない、聞き伝えの昔話、80年くらい前の話、もう誰にも聞けない お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.12.09 10:46:10
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