2006/11/13(月)23:18
おしんこ
高級な店なんかそもそも行かなくて、行くとしたら居酒屋や赤ちょうちんなんだけれど、そういう安いところでも、おいしいきゅうりのおしんこを出すところは、必ずと言っていいほど注文されてからヌカ床に手を突っ込んできゅうりを出しているね。
そして、ヌカを洗い落としてきゅうりを切るとき、アクがあるからかな?…端っこを多めに切り落とす。
そしてそのあとに、もう一度、端っこの部分を少し切って、あろうことか、おもむろに…口の中に入れるんだな。
「ぼりぼり」…。
ようちゃん2号、元来が卑しいもんだから(わかるでしょ?)、
「こんのー、いい音させやがって、おまえの歯が丈夫なのはわかったけれど、客の俺にそれをよこさないのはどういう了見なんだ!」って思ったりする。
でもね、本当においしいきゅうりのヌカ漬けを出すところは、どうもその過程が必要みたい。
(永年の経験からだよ)
漬かり具合を舌で味わって、そのあとの塊りの大きさを包丁で調節しているんだと思う。
そうやっている店は、だいたいいつ食べてもおいしいもの。
なんでこういうことを今、書いているかっていうと、あるところで食べた蕎麦が、ありえないほどおいしかったからで、なおかつそこ、蕎麦屋の店構えをしていなかったからだな。
蕎麦屋の店構えをしていないし、蕎麦しか置いていないという店でもないのになぜおいしかったのか?っていうことを、ようちゃん2号いまだに悩んでいるんだよね。
(旨いものに関しては、ようちゃん2号、そうとう執念深いよ)
思い返してみると、おいしいと感じさせた要因の一つに、そのもり蕎麦の下に敷いてあった竹簾(←「たけす」ネットで呼び名を調べた)に、蕎麦の切れっ端が一片も残らなかったこと。
それって、注文を大量に捌いているお店ほど、実現不可能なことなのかもしれない。
実際、何軒か、評判のいい店を回ってみたけれど、竹簾に蕎麦の切れっ端が残らなかった店は一軒もなかったもの。
(おおもりしか頼まんの。そばで勝負してもらう)
そう考えると、もり蕎麦って、本当の料理なのかもしれないってね、なんか、思う。
おいしいおしんこと同じくらい…。
ちゃんと、手を掛けなくちゃいけないところに、しっかり手を掛けるというようなね。
…じつは、ちょっと、自分で作ってみようかな?って思ったりしているの。