2007/02/04(日)14:45
『刺さる言葉―目からウロコの人生論』 日垣 隆 著 読んだ。
この人の名前、このごろよく見るような気がするけれど、本を読むのは初めてだな。
人それぞれ、「こう理解しておくと便利」っていうような、言葉の定義っていうのがあると思う。
この本、著者自身のそういう言葉集だね。
【書くという行為は、自己を相対化し、他者の目で見るということである。究極的には、おのれを知る終わりなき仮説の旅だと思う】
ようちゃん2号が、ここでいろいろなことを書いているのは、まさにそういうことがしたいんだと思う。
そして、他者として突き放しやすいように、「~なのね」って言葉を使ったりしているかな?
以下↓引用。
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右翼と左翼【うよくとさよく】
私が定義する右翼とは、過去の一時期を理想とする憂国言動であり、左翼とは、絵に書いた未来を理想とする立場からの憂国言動である。現状を憂える根底で大衆や敵陣営を聡明でないと思っている点と、どこかに絶対的理想があるはずだと妄想する点で、よく似通っている。(中略)
要するに、右翼や左翼は、ともにゼロか百かの二者択一を迫る非現実的な思想であり行動なのではあるまいか。
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以上↑引用。
ようちゃん2号的に、「右翼と左翼が似ているように思うのはなぜか?」ってのが、どうにも自分では説明できなかったのね。
ただ、「似ている」ってだけでね。
上のように定義すると、確かにわかりやすいな。
以下↓引用。
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石原慎太郎【いしはらしんたろう】
一右翼。中国や北朝鮮にも「奇襲攻撃せよ」発言とか、外務官僚の自宅に「爆弾が仕掛けられて当然」発言などが取り沙汰されている。彼を言葉に責任をもつ作家や都知事として理解してはいけない。正直な一右翼として正しく捉えれば、なぜかくも大量に慎ちゃんの口から問題発言の数々が放出されてきたのか、その謎も氷解する。
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以上↑引用。
石原慎太郎って、ものすごく簡単に言っちゃうと「作家だから言葉に責任を持っている」っていう逆転した発想をしているところがあってすごく気になったことがある。
「俺は作家なのだから、言葉に責任を取ってないわけがないだろう?」っていうような…外に対しては一種恫喝…?
なんか今度、都知事の税金泥棒っていうような事で裁判があって、控訴したって聞くけれど、これなんかも、「偉い都知事がそんなことするわけないだろう」って発想の表れだと思う。
どうも、この人、相対化ってことが苦手なんだろうと思うのね。
でもね、人って自分を相対化するってことが、それぞれ苦手なんじゃないかな?
それは、この著者にも言えることかもしれない。
出版社側が「こういう題名が売れるかな?」って付けたにせよ、自分の定義集を「刺さる言葉」ってするもんかな?